どんな人?
- 山内圭哉(やまうちたかや)は、日本で活動する俳優、ミュージシャン。大阪府大阪市出身の1971年10月31日生まれ。
- 幼少期からアカデミー児童劇団に所属しており、子役として活動。1984年公開の映画『瀬戸内少年野球団』などに出演している。
- 中学時代からギターを始め、自身のバンドを組んで音楽活動を続けている。
- 主な出演作として、映画『空母いぶき』、『引っ越し大名!』、ドラマ『あさが来た』(NHK)、『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』(TBS)、『民王』(テレビ朝日)、『獣になれない私たち』(日本テレビ)などがある。
- 2016年放送のドラマ『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』で、「第5回コンフィデンスアワード・ドラマ賞」助演男優賞を受賞している。
▼山内圭哉
最新情報
吉高由里子主演ドラマ『知らなくていいコト』
山内圭哉は、2020年1月8日放送開始のドラマ『知らなくていいコト』(日本テレビ)に出演。主演は吉高由里子。
本作は、様々なスクープを取り扱う週刊誌で記者として働く真壁ケイトが、急死した母の最期の言葉「あなたの父親はハリウッドスター」という言葉に振り回され、人生を狂わされる様を描く。
山内は本作で、ケイトが働く週刊誌の特集班・デスクの黒川正彦を演じている。[出典3]
生い立ち
大人しかった幼少期
1971年、大阪府に生まれる。
幼少期は1人で遊ぶことが好きなおとなしい子供だった。
小学生になると、野球に誘われた際には、
なんで俺が野球やりたいかどうかもわからんのに、なんであたりまえに誘いに来るんや?
俺は今絵を描きたいのに、なんか不条理やな。
と感じていた。[出典1]
芸能活動
児童劇団に入る
協調性のなかった山内を心配した母親は、山内を児童劇団に入団させる。
そこでは朗読をさせられたため、山内は当時それを習い事の一貫だと思っていた。[出典1]
子役としてデビュー
しばらくすると子役としてテレビや舞台に出演することとなる。
山内はそのときはじめて「こういうことのために俺は訓練してたのか」と、これまでの練習について合点が行ったという。
そんななか、山内は1984年公開の映画『瀬戸内少年野球団』に出演。
撮影にはおよそ1年かかったといい、山内はその間に声変わりを経験している。
当時お祭り気分で参加していた山内は、衣装を着たまま泥だらけになって遊びまり、怒られたと振り返る。[出典1]
演技の世界から離れる
『瀬戸内少年野球団』が公開されたのは中学1年生の夏休み頃。
山内が出演していることが知れると、不良の上級生に絡まれたり、演劇部の生徒から入部を誘われたりして、自身の活動を恥ずかしく思うようになった。
その反動で山内は芝居の継続を拒否。
高校卒業後、劇団を辞めた山内は定職につくことなく、不安定な生活を続けることとなる。[出典1]
中島らもとの出会い
そんななか、友人の紹介で作家であり歌手でもある中島らもとの出会いを果たす。
当初山内は演技の道へ戻ることに対し乗り気でなかったが、冷やかし半分でオーディションに参加。次週から中島の事務所に通うこととなった。
そこで山内に任せられた最初の仕事は、中島の飲み相手になること。
中島が本を執筆している間にお酒を継ぎ足し、自身も飲むように勧められたという。[出典1]
芝居を再開
中島のもと、晩酌に付き合う以外の仕事を何もしていなかった山内は次第に罪悪感を抱くようになり、「すみません、らもさん。正直、お芝居やる気は全然なくて、正直冷やかしで来てしまって。他にやりたいことあったらやろうと思ってるんですけど」と告白すると、中島は激怒。
「お前な、はたちやそこらで何がやりたいかなんてわからへん。男は30(歳)から。それまでは好きなことしなさい。お前がなにかやりたかったら協力したるから。そのかわり義務で劇団の芝居だけ出とけ」と言われ、気が楽になった山内は舞台出演を決意。
笑殺軍団「リリパットアーミー」に入団し、芝居を再開させた。[出典1]
NHK連続テレビ小説『あさが来た』に出演
山内は2015年度放送のNHK連続テレビ小説『あさが来た』両替屋加野屋の大番頭・雁助役で出演。
強面で異常に強い眼力が視聴者に印象を残し、”演技力抜群の遅咲き俳優”と謳われた。[出典2]
ミュージシャンとして
中学時代、芝居から離れた反動でギターを始め、パンクロックに傾倒。[出典1]
山内は現在も音楽活動も継続しており、定期的にライブを行っている。
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