2024年2月27日更新
どんな人?
- 脳出血のため、2016年12月16日に72歳で死去。
- 島木譲二は、元プロボクサー。現役時代には「西日本ミドル級新人王」を獲得したほどの腕前である。
- 吉本興業に所属後はお笑い芸人としてキャリアを重ね、「パチパチパンチ」のギャグで知られている。
生い立ち
野球選手になりたかった
小・中学校時代はプロ野球選手になることを夢見ていたという島木。
周囲からは西鉄ライオンズの名選手にちなんで“尼崎の中西太”と呼ばれていたが、高校1年生の時に肩を故障し、プロ野球の道には進めなくなってしまった。[出典1]
ボクサーとして
高校卒業後、大阪・茶屋町にあったボクシングジムに入門した島木。
アルバイト先の人が“ええ体してるからボクシングやれ”と。
その当時、プロでお金を稼げるのはボクシングぐらいでしたからね。戦績はあんまりでしたわ(笑い)
そうは謙遜するものの、当時はミドル級で西日本新人王を獲得するほどの実力の持ち主であった。[出典1]
芸能活動
吉本入り
島木は1980年、NSCに入社し、同年11月には吉本新喜劇に出演し、初舞台を踏んだ。[出典2]
芸名は、石原裕次郎の主演映画『俺は待ってるぜ』の主人公・島木譲次に由来しているといい、島木は自ら生前の石原に使用許可を求めに行ったとのこと。ちなみに吉本では”吉本の渡哲也”と称されることがある。
「大阪名物パチパチパンチ」
コワモテのルックスから繰り出される可愛らしいギャグで人気を博した島木。
特に、裸の胸を自ら叩きまくる「大阪名物 パチパチパンチ」は代名詞といえるギャグである。[出典3]
俳優として
島木は俳優として、1989年に公開されたハリウッド映画『ブラック・レイン』に、出演している。
また1996年8月21日から放送されたテレビドラマ『中村吉右衛門版 鬼平犯科帳』(フジテレビ系)の第7シーズンでは妖盗葵小僧を演じた。[出典4]
「焼肉パチパチパンチ島木譲二」オープン
2008年8月13日、島木は大阪の伏見に自身初となる焼き肉店「焼肉パチパチパンチ島木譲二 1号線下鳥羽南店」をオープンさせた。
これは当時、お笑い芸人のたむらけんじやタレントの小倉優子などといった芸能人による飲食店開業のブームに乗っかったものだった。[出典5]
体調不良
2011年2月5日、島木は体調不良を理由に当面の休養を発表。
同年1月から通院し治療を受けていたが、早期回復を目指し今後は自宅で療養するという。
心配かけてごめりんこ。また元気になって舞台頑張りますのでよろしくお願いします。
なお、病名の公表には至っていない。[出典6]
私生活
離婚
離婚経験のある島木は現在は独身。
元妻との間には1人娘を儲けている。[出典4]
タイムキーパーとして
タイムキーパーとしてボクシングの世界戦を見守った経験がある島木は、
ガッツ石松の大阪での試合。具志堅用高は3、4回やってるね。
ノンタイトル戦ではファイティング原田に海老原。
日本ボクシングコミッションの役員やったんで。お客さんも興奮してるから大変ですねん。
と振り返っている。[出典1]