2016年7月29日更新
どんな人?
- 川内優輝は、普段は県立春日部高等学校の定時制の事務員としてフルタイムで働いていながら、全国の様々なマラソン大会に参加している「市民ランナー」。
- 平日の練習量は、午前中に2時間のジョギングができる程度。しかし、2011年の「東京マラソン2011」で日本人トップとなる3位に入り、世界陸上競技選手権大会のマラソン日本代表に内定した。
- 2013年に開催された「エジプト国際マラソン」へ出場した際に、パスポートを忘れて出国が遅れたものの、同大会で大会記録を出し、優勝を飾った。
生い立ち
東京都世田谷区生まれ。
埼玉県の鷲宮中学校時代から陸上を始め、春日部東高等学校では3年連続で関東高校駅伝出場している。
卒業後は、学習院大法学部政治学科に進学。
在学中に公務員試験に合格し、2009年4月から埼玉県職員として勤務する。[出典1]
選手活動
市民ランナーとして
川内は、埼玉県庁に所属する公務員として普通に働きながら練習を続け、全国のマラソン大会に参加している「市民ランナー」。
マラソン界では、多くの有力選手は実業団に所属し、十分な練習時間やサポートを得ているが、川内の場合は公務員としてフルタイムで勤務している。
普段は通常業務をこなし、自由時間にトレーニングをして、多くのマラソン大会へ参加。
そうして世界の強豪選手と競って結果を残し、オリンピックの出場候補選手にまでなっているため大きな注目を浴びている。[出典2]
日本人トップに
2011年2月27日に行われた「東京マラソン2011」では、2時間8分37秒で日本人トップとなる3位に入り、世界陸上競技選手権大会のマラソン日本代表に内定した。[出典3]
ゴールテープを切ると川内は倒れ込み、痙攣を起こして医務室へ。
「いつも死ぬ気で走る」ため、同大会が6度目のマラソンで医務室に運ばれたのは5度目だったという。
市民ランナーが実業団の選手を抑えて日本人トップ、世界選手権の切符を手にしたことで
市民ランナーでもやれることを見せられた
と川内は誇った。[出典1]
パスポートを忘れ大失態
2013年に開催された「エジプト国際マラソン」へ出場した際に、川内がパスポートを忘れて搭乗予定の招待機に乗れなかった話は、今では有名なエピソード。[出典2]
川内がパスポートを持っていないことに気づいたのは、成田到着後。
大慌てで母親に連絡し、埼玉県の自宅から持ってきてもらうよう頼んだが、母親の乗った電車が遅れる不運も重なった。
予定のフライトは8時50分発のエジプト航空。
航空券代は主催者払いだったものの、パスポートが間に合わずエジプト航空はアウト。
急きょ10時30分発のカタール航空便で、ドーハ経由でのルクソール行きを決断した。
正規料金で往復チケットを購入せざるを得ず、3カ月分の給与に相当する約80万円のチケットを自腹。[出典4]
川内は出国が遅れたものの、その後は同大会で大会記録を出し、優勝を飾った。[出典2]
私生活
地方公務員として
普段は、県立春日部高等学校の定時制の事務員としてフルタイムで働いている。
平日の勤務時間は、午後0時45分から午後9時15分。
そのため、平日の練習量は、午前中に2時間のジョギングができる程度。
月間の総走行距離は、600キロ前後で実業団の選手の半分程度だ。
だが、駒沢公園を20周する43キロ走や登山道を走るなど工夫を重ねて練習に励んでいる。[出典1]
また、公務員を続ける理由については、
仕事とは生きるための手段であり、家族を養うための手段です。
自分自身が生きるために仕事をし、家族を養うために仕事を続けています
と語っている。[出典2]
マラソンは趣味の一つ
川内は大の旅行好き。
なので市民マラソンに出場できることは、好きな観光とランニングの両方を一緒に味わえる、これ以上ない趣味だという。
走って温泉に入って、美味いものを食べる。だからずっと楽しんで走って来られたんでしょう。
私は、海派でなく断然山派。那須(栃木)のような温泉が好きです。
将来の夢は、世界各国の市民マラソンでも観光とレースを楽しむことですね
と川内は語っている。[出典3]