どんな人?
- 左幸子は高校の保健体育と音楽の教師として仕事をする一方、俳優座の委託生となる。その後、1951年に『家庭よみうり』創刊号でカバーガールをつとめてデビュー。
- 参加した卒業公演で「新東宝」の野村浩将監督に見出され、1952年公開の映画『若き日のあやまち』でヒロイン・吉岡麻子役に抜擢。映画デビューを果たした。
- 8人兄弟の長女。妹の一人は女優の左時枝。夫で俳優の羽仁進とは1977年7月19日に離婚した。
芸能活動
バラエティでも活躍
左幸子は女優として映画やドラマへ出演する一方、バラエティ番組にも出演し、人気を博した。
レギュラーパネリストとして出演していた『快傑熟女!心配ご無用』(TBS系)では、忌憚のない発言が人気を呼んでいた。[出典1]
私生活
元夫・俳優の羽仁進は、妹と再婚
左幸子と羽仁進は2年間の別居を経て、1977年7月19日に離婚した。
その4ヶ月後、元夫の羽仁進は左の実の妹と再婚し周囲を驚かせた。
左は8人兄弟の長女で、羽仁と再婚したのは左の7番目の妹だったという。
破局の原因となったのは1974年に、羽仁が左に何も告げずに、アフリカへ渡り、1年以上音信不通になったことだと言われている。この時、左の7番目の妹と羽仁と左の実の娘も同行したという。
このことがきっかけとなり、左は離婚を決めたと言われている。[出典1]
胃がんが再発
左幸子はバラエティ番組の出演などで活躍する中、胃がんが再発。また、がんは肺にも転移しており、2001年11月に死去。71歳だった。[出典1]