どんな人?
- 1979年、65期生として宝塚歌劇団に入団し雪組に配属される。1981年上演の『彷徨のレクイエム』で新人公演主役に抜擢され、以降「男役2番手」となるまでのほとんどの新人公演で主演を務めた。
- 1988年雪組トップススターに就任。1992年の旧宝塚大劇場最後の公演となる『忠臣蔵〜花に散り雪に散り〜』を経て、1993年に同作の東京公演で宝塚歌劇団を退団する。
- 近年は、舞台やテレビを中心に女優として活躍している。
芸能活動
『ベルサイユのばら』をみて宝塚を志願
杜けあきは高校生のときに『ベルサイユのばら』(NHK)の雪組版をみて宝塚歌劇団を志した。
その後、わずか3ヶ月の受験勉強期間で見事宝塚歌劇団に合格。幸運なことに志願のきっかけとなった雪組に配属された。[出典1]
杜けあきは宮城県仙台市出身で本名は狩野久美子(かのくみこ)であるが、
杜けあきという芸名について
「けあき」は本当に単純に「けやき」よりも「けあき」の方がより華やかだったので、自分のインスピレーションで「あ」に変えました。「杜の都」の「杜」であり、県木であり市木でもあるというのも、名前をつけた後に知ったんですよ。だから、全部後からという感じで。でも、これも私にとってはひとつの運命のような気がしています。[出典2]
と語っている。
文言にもあるように、ケヤキは宮城県の県木であり、仙台市の市木でもある。
雪組トップススターに就任
宝塚歌劇団では男役を務めた杜けあき。
1988年に雪組のトップススターに就任。和もの、日本物が得意であり「日本物の雪組」の時代を築いた。[出典3]
トップスター時代は極めて多忙で、終演後は毎回点滴を打つほどであったという。[出典1]
1989年には宝塚歌劇団を志すきっかけとなったミュージカル作品『ベルサイユのばら』の『ベルサイユのばら - アンドレとオスカル編- 』にアンドレ役として出演した。[出典4]
その後も多数の作品に出演し、1992年『忠臣蔵〜花に散り雪に散り〜』をもって宝塚歌劇団を退団した。
近年は舞台やテレビなどで女優として活躍
宝塚歌劇団を退団した杜けあき。現在は女優として舞台やテレビなどで活躍している。
退団後数年間は大股歩きの癖でスカートを何枚も破いたり、役作りをするにも相手の男役を通じてでないと考えられなかったりと、元宝塚スターならではの苦労があったと語っている。[出典3]