2023年8月22日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 松嶋菜々子(まつしまななこ)は、日本で活動する女優・ファッションモデル。神奈川県横浜市出身の1973年10月13日生まれ。セブンス・アヴェニュー所属。
- 1991年に旭化成水着マスコットガールに選ばれ、芸能界デビュー。その後、女性ファッション誌『ViVi』の専属モデルとして活躍する。
- 女優デビューは、1992年放送のドラマ『社長になった若大将』(TBS)。1996年放送の朝ドラ『ひまわり』(NHK)でのヒロイン役や、1998年公開の映画『リング』での主演などで注目を集めた。
- 2001年に俳優の反町隆史と結婚。2004年に第1子女児、2007年に第2子女子を出産。
- 2011年に主演を務めたドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ)が、最高視聴率40.0%という驚異的な高視聴率を記録。同ドラマは社会現象とまでなった。
▼松嶋菜々子
https://twitter.com/AI_houkai/status/1205804627939098625?s=20
生い立ち
松嶋菜々子は、神奈川県横浜市出身の1973年10月13日生まれ。血液型はA型。
現在年齢は51歳。セブンス・アヴェニュー所属。[出典4]
中学時代はシャイだった
松嶋菜々子は、中学時代の自身について、「とんでもなくシャイだった」と語っている。
当時、バスに乗車していても降車ボタンが押せず、誰かが降車ボタンを押すのを待っていたという。降りたいバス停で誰も降車ボタンを押さなかった場合はそのまま乗り過ごした。そして、次に誰かが降車ボタンを押した停留場でおり、歩いて戻るということを繰り返していたと述べている。[出典28]
高校卒業のタイミングでスカウトを受ける
松嶋菜々子は、高校卒業を機に海外留学することを考えていた。しかし、そのタイミングでスカウトを受け、芸能界入り。
本人は、このスカウトが”運命の分岐点”となったと語っている。[出典30]
芸能活動
旭化成水着マスコットガールで芸能界デビュー
松嶋菜々子は、1992年に旭化成水着マスコットガールを務め、芸能界デビュー。
同マスコットガールは、1976年にはモデルのアグネス・ラムが、1999年には女優の片瀬那奈が務めている。[出典5]
雑誌『ViVi』の専属モデルを務める
松嶋菜々子は、1992年18歳の頃から女性ファッション誌『ViVi』の専属モデルとなった。[出典6]
当時について松嶋菜々子は、
173センチの身長は当時の雑誌にしては背が高すぎて、ショーに出るには低すぎて中途半端。もうちょっとお洋服をうまく見せられるようになりたいとか、年齢を重ねたら次の憧れのお姉さん雑誌に出てみたいなというのが、そのときの目標でした。[出典7]
と語っている。[出典7]
『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントに出演
松嶋菜々子は、人気バラエティ番組であった『とんねるずのみなさんのおかげです』内で1995年にスタートしたコント、『近未来警察072』にナナ隊員として出演。[出典6]
同コントは下ネタ要素が強く、松嶋菜々子演じるナナ隊員は、とんねるずの2人に強要される形で”淫語”を連発させられていた。[出典8]
ドラマ・映画を中心に女優として活躍
松嶋菜々子は、1992年に放送されたドラマ『社長になった若大将』(TBS)で女優デビュー。[出典9]
その後、1996年に朝ドラ『ひまわり』(NHK)でヒロインを演じ、さらには1998年に公開された映画『リング』で映画初主演を務めたことで女優としてのポジションを確立した。[出典10]
女優休業を報じられるも、事務所が完全否定
2019年に女性週刊誌『女性自身』が、松嶋菜々子が2020年から女優業を休業する旨を報じた。[出典11]
休業理由については、長女の海外留学先に同伴するためだとされていたが、所属事務所はこれを完全に否定している。[出典11][出典12]
所属事務所のセブンス・アヴェニューは、女優休業に関する報道を”事実無根で謝った内容”であると、公式HPで発表。
1996年、NHK朝の連続テレビ小説『ひまわり』のヒロイン役に抜擢され、女優としての道を本格的に歩き始める。2002年NHK大河ドラマ『利家とまつ~加賀百万石物語~』でも主演のまつ役を務めた。その他にも日本を代表する女優として、数多くの映画やテレビドラマを中心に活躍し、話題を浚っている。主な出演作品に、フジテレビ『救命病棟24時』『やまとなでしこ』『美女か野獣』、TBS『魔女の条件』、日本テレビ『火垂るの墓』、『家政婦のミタ』、映画『犬神家の一族』『リング』、『ゴースト もういちど抱きしめたい』など。
出典:タレントデータバンク