2020年11月10日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 池内万作は、俳優。1995年映画『君を忘れない』でデビュー。
- 2002年放送のドラマ『こちら本池上署』(TBS系)にレギュラー出演をし、人気となる。勧善懲悪を越えた幅の広さと独特の存在感で続々ドラマ、映画に出演。
- 父は俳優の伊丹十三、母は女優の宮本信子、祖父は映画監督の伊丹万作。
プロフィール
芸名 / 読み | 池内 万作 / いけうち まんさく |
誕生日 | 3月27日 |
出身地 | 東京都 |
デビュー年 | 1995年 |
身長 / 体重 / 血液型 | 180.0cm / 67.0kg / O型 |
星座 / 干支 | おひつじ座 / 子年 |
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生い立ち
映画関係者に囲まれ育つ
池内の祖父は日本映画の祖として知られる監督・伊丹万作。
父親は俳優であり映画監督としても活動した伊丹十三で、母親は女優の宮本信子である。
こうした環境により、池内自身も俳優を志すようになったと思われがちだが、本人は否定している。
自分の両親の仕事が、たまたま俳優や監督だっただけです。
親の仕事に影響を受ける人もいれば興味の無い人もいるでしょ?
むしろ最初は後者だった気がします。[出典1]
留学経験豊富
池内は1989年、当時16歳でアメリカの高校に編入した。
高校卒業後の1992年にはロンドンに渡り、そこで3年間を過ごしている。[出典2]
舞台への憧れ
池内は、留学先のロンドンで初舞台を踏み、そこではじめて演劇に対する興味を抱くようになったという。
イギリスのコメディが好きだったので、将来は人を笑わせる役者になりたいな…と漠然と考え始めたあたりが役者を目指した最初でした。
だから、特に役者になろう! と幼い時から考えていたわけではないのですが、それじゃあ、役者をもしやっていなかったら…と、今にして思えば想像がつかないので怖いものがありますよね。[出典1]
芸能活動
俳優として
ロンドンから帰国した池内は1995年、アメリカとドイツの合作オムニバス映画『FLIRT フラート 東京編』にて俳優デビューを果たした。
続いて出演した戦争青春映画『君を忘れない』で妻子を持つ特攻隊員役を好演、デビュー2作目でありながらタイトルバックで6番目に名を連ねた。
連合赤軍のリンチ殺人事件を題材にした映画『光の雨』ではリーダー格の犯人に扮し、『犯人に告ぐ』では主役の刑事を演じるなど、様々なキャラクターを担ってきた池内は、
やっぱり、役者として色々な役が演じられないと面白くないし…作品を観た人から“池内万作はいつも池内万作だよね”って言われたくないですしね。
と胸中を語っている。[出典1]
テレビドラマにおいては2002年放送の『こちら本池上署』(TBS系)にレギュラー出演していた。[出典2]
自身初となる単独主演
2009年公開の映画『しゃったぁず・4』に出演し、自身初となる単独主演を飾った池内。
オファーを受けた当時について、
そりゃ嬉しいですよ…だって主役ですよ(笑)。
まず、台本を読ませてもらった時、しっかり作られているなぁと思いました。
僕から断る材料が無かったので二つ返事で引き受けさせてもらいました。
と振り返り、自身の役どころについてを、
ただ単にダメな男じゃなく、どこか憎めないヤツっているじゃないですか。
邦夫(池内演じる主役)もそうなんですよね…娘の事を考えているのに気持ちに行動がついて来ない。
そういった不器用さを出そうと思いましたね。
と語った。
また地方ロケにて商店街をめぐったという池内は、
僕の住んでいる街には商店街が無かったので僕自身、商店街が好きなんですが…本当に寂しいですよね。
(中略)この映画が日本各地の商店街で上映されて勇気づけられたら…と、思います。
と心境を明かしていた。[出典3]
▼ いけうちの初単独主演作となった映画『しゃったぁず・4』 予告編
出演
映画
テレビ番組
インターネット番組
米ペディースクール(NJ)を卒業後、英リーストラスバーグロンドン校で作劇と演技を学び、1994年から日本で俳優として活動開始。1995年映画『君を忘れない』でデビュー。以後、TBS『こちら本池上署』、NHK『龍馬伝』、フジテレビ『チームバチスタシリーズ・螺鈿迷宮』、NHK『デザイナーベイビー』、映画『寄生獣』等出演作多数。 HP「万でした・お届け」でのブログを始めヤフー不動産でのコラム連載など、執筆活動も行っている。 MUSIC SHAREではドラマや映画の撮影で親しんだ「カット割り」の経験を活かし、現在配信とスイッチングを担当。
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