2016年8月3日更新
どんな人?
選手活動
きっかけは川合俊一からのスカウト
溝江はビーチバレーを始めたきっかけについて以下のように語っている。
私は、小学生の頃からバレーボールをやっていて、高校3年生の時にバレーの全国大会に出て優勝して、そしたら川合俊一さんに「ビーチバレーに転向しない?」と誘われたのがきっかけです。[出典1]
戦歴
大学は、ビーチバレー部を本格的に発足させた大学へと進学。
溝江は同大学のビーチバレー部第一期生だった。
2013年に、西堀健実とのペアを結成。
2014年には、女子ビーチバレーペアの世界ランキングにおいて、日本人としては当時最高位の39位にランクインした。
2014年12月、南アフリカ共和国で行われた「FIVBビーチバレーボールオープン2014マンガウング大会」に出場し、銀メダルを獲得。[出典1]2人にとっては初の、日本勢としても14年ぶりとなる表彰台に上がった。
さらに2015年には、日本で開催されたワールドツアー「横浜グランドスラム」で9位と奮闘。
ひと桁順位も珍しいことではなくなり、ツアーでも一目置かれるペアとなった。[出典2]
リオ五輪出場ならず
リオ五輪の出場権をかけて戦ったアジア最終予選は、オーストラリアのケアンズで開催された。
溝江&西堀ペアは、3位決定戦で中国にストレート負け。惜しくもリオ五輪への道は閉ざされてしまった。
溝江は自身のブログにて、
本当に多くの人に支えられ、応援してもらい、ここまできました。
皆さんの応援に勝利で応えたかった。
日本代表として、オリンピック出場権を得ることができず不甲斐ないです。
ですが、日本代表チームとしてスタッフ・選手一丸となって戦った時間を誇りに思います
この経験を無駄にする事なく、また積み重ねて行きたいと思います!
とコメント。また、ペアである西堀へ、
壁にぶち当たってツラい時も、
お互いの意見がぶつかり合ってケンカした時も、
勝利して喜び合った時も、
ふざけて笑いあった時も、
どんな時も一緒に歩んでくれるパートナーのタケさんに感謝します。
と感謝の言葉を綴った。[出典3]
私生活
英語が話せない悩み
海外での活動が多い溝江であるが、英語は話せない。それ故に、海外では困ったことが多くあるという。
試合に勝ったり表彰台にのぼると、勝者インタビューがあるんですが、言いたいことがいっぱいあるんですが、英語で聞かれてよくわからないし、英語で答えることもできなくて、ちょっと恥ずかしいというか、もどかしいというか
と溝江は語っている。[出典1]