2022年2月7日更新
どんな人?
- 濱津隆之(はまつたかゆき)は、日本で活動する俳優。埼玉県川口市出身の1981年8月25日生まれ。アニモプロデュース所属。
- 俳優として活動する以前には、吉本興業タレント養成所・NSC東京校に入所し芸人を目指したり、「DJ.HAMAONE」名義でDJなどもしていた。
- 2011年から役者活動を始め、2017年にオーディションを経て、映画『カメラを止めるな!』の主役に抜擢。インディーズ映画にも関わらず異例の大ヒットを記録した同作と共に、濱津の演技も評価された。
- 主な出演作として、映画『魔法少年☆ワイルドバージン』、『僕の好きな女の子』、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS)、『絶メシロード』(テレビ東京)などがある。
- バラエティ番組『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ)の再現VTRに度々登場しており、映画『カメラを止めるな!』で夫婦役を演じたしゅはまはるみと共に同じく夫婦を演じる事もある。
▼濱津隆之(右)
生い立ち
濱津隆之は、埼玉県川口市出身の1981年8月25日生まれ。現在の年齢は43歳。身長175cm。[出典3][出典7]
子供時代は?
濱津隆之には両親と兄、姉がおり、運動も勉強も苦手なタイプだったそう。
クラスで目立つようなタイプでもなかったというが、人を笑わせるのは好きであり、同じマンションに住む友人達と共に、面白いビデオを撮ったり、ラジオを録ったりしていたという。[出典7]
動き出した学生時代と芸人時代
高校を卒業した濱津隆之は、千葉県流山市にある東洋学園大学へ進学。[出典8]
特に学びたいことがあったわけではないそうだが、兄も姉も大学進学をしたため、自分も取り敢えず行こうと思ったそう。[出典7]
大学入学後は、学園祭の運営局に参加。所属した企画班で、芸人を呼んだ企画を考案。
学園祭では、ゲストに呼んだお笑いコンビ「アンタッチャブル」や「テツandトモ」、エスパー伊東などが、プロのパフォーマンスを披露したそうで、それを目の当たりにした濱津は感銘を受けたという。
こうした経験もあり、大学卒業後は芸能の道に進むか、かねてより好きであった音楽の道へ進むが悩んだそう。結局、大学卒業後は居酒屋で1年間お金を貯め、吉本興業のタレント養成所であるNSC東京校に入所。
同期と共にコンビ「はまつとコバ」を結成し、濱津はボケを担当していた。
NSC時代は選抜クラスに在籍しており、卒業後も先輩のライブや新人では出演が難しい劇場などでコントライブを行っていたという。
同期には、お笑いコンビ「シソンヌ」や「チョコレートプラネット」、「パンサー」の向井慧やエド・はるみなどがおり、自身も負けじと活動を続けていたが、1年程で芸人活動を休止。[出典7]
音楽活動と次の夢
もう1つの夢である“音楽”への未練があった濱津隆之は、芸人活動休止後DJへ転身。[出典7]
中学時代から6~70年代のソウルやファンクが好きであり、大学の学園祭ステージでダンサーの後ろでDJが活躍しているのを観ていたこともあり、自身もなってみたいと思ったという。
しかし、そもそもクラブへ足を運んだ経験すらなかった濱津は、DJ募集を行っているクラブへ片っ端から連絡。
僕はDJです、って言えばなれるかな[出典7]
と思い、ノリと勢いでDJ HAMAONE(ハマワン)としてデビューした。[出典7]
5年程DJとして活動を続けるも、この道一本で食べていけるようにはならず、30歳を目前にし、音楽の道を諦めた。
「音楽の世界では完全にダメだった」と諦めがつき、一時は芸人の道へ戻るか迷ったそうだが、一度挫折した道に戻るのも間違っていると考え直したという。
そうしている内、芸人時代行っていたコントの事を思い出し、「自分は演じることが好きなのでは」と思い至り、役者という仕事を意識するようになったそう。[出典7]
芸能活動
歩み出した役者としての道
お笑いの道も音楽の道も諦めた濱津隆之は、就職などはせず役者の道へ。[出典7]
濱津は、「自身が興味を惹かれたのは、芸能と音楽の道だけであり、どちらかで絶対に食べて行きたい」と思っていたという。