2021年12月21日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 熊田曜子(くまだようこ)は、日本で活動するタレント・グラビアアイドル。岐阜県出身の1982年5月13日生まれ。アーティストハウス・ピラミッド所属。
- 高校3年生だった2001年に、漫画雑誌『週刊少年マガジン』のコンテスト「ミスマガジン」に応募し、最終選考に進出。しかし、母から猛反対されたため辞退している。
- 芸能界入りの夢を諦めきれず、オーディション雑誌に応募。現所属事務所に声をかけられ、芸能界入りした。
- グラビア活動を開始以降は、数々の雑誌に登場。2000年代前半の「グラビア黄金時代」を代表する1人となっている。
- 私生活ではスキャンダルが多く、度々話題となる。2012年4月に一般男性と結婚。同年12月に第一子、2015年10月に第二子、2018年に第三子を出産した。2021年5月に、夫からのDVを理由に離婚協議に入っている。
▼熊田曜子
生い立ち
熊田曜子は、岐阜県出身の1982年5月13日生まれ。現在年齢は42歳。身長164cm。アーティストハウス・ピラミッド所属。[出典1]
チームスポーツが好き
熊田曜子には3つ年上の兄がおり、兄の影響で幼い頃から身体を動かすことが大好きだった。
特にチームでプレイする球技が好きだったため、中学ではソフトボール部に所属。
投手の次に出番が多いため、ポジションは一塁だったそう。
関市立関商工高等学校へ入学すると、ソフトテニス部に所属した。
実家から高校までは山を1つ超えた距離があり、登下校は往復20キロの道のりを自転車で通っていたという。
同校はスポーツが盛んだったため、朝も放課後も練習があり、自転車通学と合わせてかなりの運動量をこなしていたそう。[出典2]
シングルマザーだった母
熊田曜子の母は正社員として働きながら、熊田と兄と1人で育ててくれたという。
仕事で忙しい合間をぬって部活の送り迎えや、試合を見に来てくれてもいたそう。[出典2]
また、熊田が高校3年生の時に応募した「ミスマガジン」で最終選考に残った際は、母が猛反対したため辞退している。[出典3]
芸能活動
熊田曜子は母の反対を受け芸能界入りを断念し、高校卒業後は看護学校へ進学。
しかし、夢を諦めきれなかったため、オーディション雑誌に応募し現所属事務所からスカウトを受け芸能界入りした。[出典3]
デビュー後はグラビアアイドルとして様々な雑誌に登場。
「グラビア黄金時代」と言われていた、2000年代初頭を代表する1人として人気を集めた。
また、同時期には小池祥絵、伊藤絵理香、相楽のり子らと共に、グラビアアイドルグループ「P-GIRL」としても活動している。[出典3][出典4][出典5]
また多くのスキャンダルにもさらされており、2007年には週刊誌が、芸能界を引退した島田紳助との不倫関係を報道。[出典6]
その後、島田から枕営業を持ちかけられていた女性たちの1人としても名前が上がっている。[出典7]
2012年には、詐欺容疑で摘発されたインターネットオークション「ペニーオークション」について、自身のブログでステルスマーケティングを行ったことが問題となった。[出典8]
人物
- 高校時代の先輩に役者の綾野剛がいた。
- 高校時代は1日5食食べており、かなりぽっちゃりした体型をしていたため「ブタゴリラ」というあだ名を付けられていた。[出典9]
- 1番多くの写真集を出した人としてギネスブックに載るのが夢。[出典11]
- 漫画、アニメが人気な『鬼滅の刃』に登場する禰豆子のコスプレを披露して、話題になった。[出典10]
結婚・離婚
1982年05月13日生まれ、岐阜県出身のタレント。主な出演作は、テレビ東京『よじごじDays』、CM『富山常備薬グループ「キミエホワイトプラス」』、写真集『情愛』、トレカ『熊田曜子~Legend of Yoko~』など他多数。趣味・特技は、ポールダンス、カラオケ、ピアノ、簿記、ブラインドタッチ、一輪車。
出典:タレントデータバンク