2022年4月27日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 片岡鶴太郎(かたおかつるたろう)は、日本のお笑いタレント・役者・画家。東京都出身の1954年12月21日生まれ。太田プロダクション所属。
- 高校卒業後に声帯模写芸人の片岡鶴八へ弟子入りし、独り立ち後は東宝名人会、浅草演芸場などに出演した。
- 以降はバラエティ番組などに出演し、知名度を上げている。
- 役者としても活躍し、1989年公開の映画『異人たちとの夏』では「第12回日本アカデミー賞」最優秀助演男優賞を始めさまざまな賞を受賞した。
- 画家としていくつもの個展を開催し、インド政府公認の「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」などにも挑戦している。
プロフィール
芸名 / 読み | 片岡 鶴太郎 / かたおか つるたろう |
誕生日 | 12月21日 |
出身地 | 東京都 |
身長 / 体重 / 血液型 | 163.0cm / 43.0kg / O型 |
星座 / 干支 | いて座 / 午年 |
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▼片岡鶴太郎
生い立ち
片岡鶴太郎は、東京都出身の1954年12月21日生まれ。現在年齢は69歳。身長163cm。太田プロダクション所属。[出典1]
幼い頃から役者に憧れた
片岡鶴太郎の両親は東京の下町出身であり、幼い頃からよく寄席へ連れていかれていた。
そのため芝居、演芸、落語、漫才、ものまねを観ながら育ち、片岡は幼い役者になることに憧れていたという。
また、高校の3年間は演劇部に所属し、3年生の時には部長を務めている。[出典2]
芸能活動
片岡鶴太郎は、高校卒業後に声帯模写芸人の片岡鶴八に弟子入り。
3年後に独り立ちし、東宝名人会や浅草演芸場に出演していた。
その後バラエティ番組へ出演するようになり、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)出演がきっかけとなりブレイクしている。
バラエティ番組では近藤真彦のモノマネを披露しており、人気を博した。
32歳の時には、ボクシングのプロライセンスを取得している。
また、同時期に映画『異人たちとの夏』へ出演。初の映画出演だったが、「第12回日本アカデミー賞」最優秀助演男優賞を始め、さまざまな映画賞を受賞した。
1990年代には、ドラマ「金田一耕助シリーズ」に主人公の金田一耕助として出演。
30代後半からは絵画を始め、以降定期的に個展を開催するほど作品を制作している。[出典3][出典4]
その後、瞑想への興味からヨガを始め、2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」に合格した。[出典5][出典6]
2022年放送の連続テレビ小説『ちむどんどん』(NHK)では、ヒロインを見守る沖縄県人会会長・平良三郎を演じている。[出典7]
人物
- 私生活では、24歳だった1979年に大衆演劇座長の娘と結婚。3人の息子がいる。
- 29歳の時に「勉強部屋」と称して自宅以外に部屋を借り、家族と過ごす時間が月2、3回程度になってたいた。
- 妻とは別居状態が30年以上続いていたため、価値観が異なってきており今後一緒に住むこともできないとなり、子どもたちが独立したタイミングだった2017年3月に離婚している。[出典8]
- ヨガを始めてからは夜22時起きて夕方前に寝るという生活をしている。[出典9]
- 昔から洋服が大好きであり、お笑い芸人の中で衣装のスタイリストをつけた初めての人。[出典10]
公式SNS・ブログ
インスタグラム
ブログ
出演
テレビ番組
- 愛のエプロン (テレビ朝日)
- 仮面ライダードライブ (テレビ朝日)
- 嫌な女
- オレたちひょうきん族
- 芸能人格付けチェック ~一流芸能人に常識はあるのか!?スペシャル~
- 無敵の法律事務所!弁護の鉄人 橘明日香
- インディゴの恋人
- とと姉ちゃん (NHK)
- 4号警備
- オトコマエ!
- オトコマエ!2
- 男女7人夏物語
- 聖龍伝説
- 男女7人秋物語
- ブラックスキャンダル
- どこにもない国
- 彼らを見ればわかること
- 春の時代劇特別企画 暴れん坊将軍
- 毒島ゆり子のせきらら日記 (TBS)
- 理由(2004年) (WOWOW)
- 花いくさ
- オールナイトフジ
- 大江戸弁護人 走る!
- 八丁堀の七人 第1シリーズ
- 八丁堀の七人 第5シリーズ
- Answer~警視庁検証捜査官~
- 鶴ちゃんのプッツン5
- 上を向いて歩こう!
- 世にも奇妙な物語 第1シリーズ
- 世にも奇妙な物語 第3シリーズ
- 世にも奇妙な物語 冬の特別編(1991年1月)
- 世にも奇妙な物語 春の特別編(1992年)
- 世にも奇妙な物語 冬の特別編(1995年)
高校を卒業と同時に片岡鶴八に師事。三年後ひとりだちし、東宝名人会、浅草演芸場に出演。23才の頃からテレビに進出。その後、フジテレビ『オレたちひょうきん族』でお茶の間に浸透し、人気を博す。バラエティーを中心に活躍していたが、やがてドラマの分野も開拓。33才の時、プロボクシングライセンスを取得。その時期に出演した初の映画、松竹『異人たちとの夏』が話題を呼び、映画賞、各賞を受賞、役者としての地位も確立。40才で墨彩画に魅せられ、絵を描きはじめ、1995年12月には初の個展を開くなど、画家としての道も歩みはじめた。その多芸、多才ぶりは今も健在である。
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