2020年2月19日更新
どんな人?
- 純名里沙(じゅんなりさ)は、日本で活動する女優・歌手。大阪府出身の1971年3月15日生まれ。
- 1990年に宝塚歌劇団へ首席で入団。抜群の歌唱力から、入団後はビッグタイトルの舞台に出演。雪組配属後はホープとして活躍した。
- 1994年放送の朝ドラ『ぴあの』(NHK)には、歌劇団の勧めでオーディションを受け、主演に抜擢。現役のタカラジェンヌが朝ドラヒロインを務めたことが話題となった。
- 1996年に宝塚を退団し、以降はフリーの女優として様々なメディアや舞台で活躍。歌手としても活躍しており、多くのオーケストラと共演している。
- 長らく独身を貫いており、過去熱愛報道もなされていない。
▼純名里沙
生い立ち
純名里沙は、大阪府出身の1971年3月15日生まれ。現在年齢は53歳。[出典1]
父は中学の英語教論、母は保健体育教論。両親共々教師だったため、家にはよく生徒達が遊びに来ていたという。
音楽には幼い頃からミュージカルを通し慣れ親しんでいたという。また、英語の曲をよく聴いていたため耳がよく、感覚英語が上手い。
実際、2000年頃にニューヨークへ1ヶ月の語学留学へも行っている。[出典4]
芸能活動
圧倒的実力で宝塚に入団!
純名里沙は1990年、宝塚歌劇団に首席で入団。初舞台では、シンガーの花形である「エトワール」へ異例の抜擢を受けている。
翌年には、オペレッタ『微笑みの国』で初のヒロインを演じ、ウィーンフォルクスオパー管弦楽団とウィーンでのレコーディングも行っている。
純名は「10年に1人のプリマドンナ」と呼ばれ、圧倒的な歌唱力が高く評価された。[出典2]
また宝塚在団中、朝の連続テレビ小説『ぴあの』(NHK)にで主演と主題歌を担当。現役のタカラジェンヌが朝ドラでヒロインを務めることは異例であり、当時話題となった。
朝ドラの劇伴を担当していた久石譲とは、今作がきっかけとなり久石プロデュースでアルバムをリリース。収録曲の『プロポーズ』はシングルカットされており、結婚式の定番ソングとなっている。[出典3]
その後、花組のトップ娘役に就任し、1996年に宝塚歌劇団を退団。[出典2]
女優としての活動
純名里沙は宝塚退団後、女優に転身。テレビや映画の映像作品はもちろん、舞台やラジオと幅広く活躍。
2002年には香港映画『夜間飛行』に出演し、主演と歌唱を担当。また、歌唱曲はベスト・オリジナル・フィルムソング賞を受賞している。[出典1]
以降も芸能活動を続けていたが、40歳を目前に人生や仕事の方向性に迷いが生じ、精神的に落ち込んでいたという。[出典1]
そんな時東日本大震災が発生し、
生かされているとは何だろう[出典1]
と考えた純名は、1年間芸能活動から離れることに。
今後の人生をどう生きていくか模索しながらも、料理教室に通ったりしていたそうだが、そんな時でも癒しをくれたのが音楽だったという。[出典1]
歌手としての活動
純名里沙は芸能活動から離れた1年半後、休んでいた間に聴いていた弦楽ユニット「ショーロクラブ」のギタリスト・笹子重治に弟子入り。
2012年から音楽活動を中心に、芸能活動を再開。大舞台で歌い、多数の作品に出演した経歴を持つ純名だったが、ライブ会場探しや出演交渉などを全て自分で行ったという。
ライブハウスにも多数出演。舞台歌唱とは違い、観客の表情が間近に見えるステージは初めてであり、最初は不安だったという。[出典1]