2022年2月3日更新
どんな人?
- 細川俊之は、俳優座養成所を経て、1964年から71年まで文学座に所属していた俳優である。声優としても活躍しており、1980年に公開されたアニメ映画『あしたのジョー』において、主人公のライバル・力石徹役を演じたことで知られている。
- 前妻であり女優の小川真由美との間に儲けた長女・小川雅代はパンクロックバンドで活躍中。
- 2011年、急性硬膜下血腫により帰らぬ人となった。
芸能活動
俳優として
俳優座養成所を経て、1964〜71年まで文学座に所属していた細川。[出典1]
セクシーな二枚目から残忍な悪役、三枚目までを幅広くこなし、映画では1970年公開の『エロス+虐殺』や1997年公開の『ラヂオの時間』に、テレビドラマにおいては『時間ですよ』(TBS系)や『ムー一族』(TBS系)、大河ドラマ『毛利元就』(NHK)などに出演した。[出典2]
舞台にて
映画やテレビドラマで活躍するほか、舞台出演も積極的に行っていた細川の代表作としては、『ナイン』、『マイフェアレディ』、『リトルナイトミュージック』などが挙げられる。
殊に女優・木の実ナナとW主演を務めた『ショーガール』は、1974年から15年間にわたって上演された人気シリーズであった。[出典1]
歌手として
細川は1973年、歌手・中村晃子とのデュエットカバー曲「あまい囁き」をリリースしている。[出典3]
声優として
細川は美声を活かして数多くのナレーションを担当。
声優としては劇場版アニメ『あしたのジョー』において、主人公のライバル・力石徹役を演じたことで知られている。[出典2]
私生活
離婚、そして再婚
細川は1967年に同じ文学座に所属していた女優・小川真由美と結婚するも、1973年に離婚。
翌年、宝塚歌劇団出身のダンサーだった藤本典江と再婚している。[出典2]
娘はパンクロッカー
前妻・小川との間に儲けた娘は、パンクロックバンドで活動する小川雅代である。
雅代は細川と離婚した小川真由美が男性占い師につけこまれたことで苦しんだ過去を告白しており、2012年には自叙伝『ポイズン・ママ―母・小川真由美との40年戦争』(文藝春秋)を出版している。[出典5]
教鞭を執る
2004年から細川は、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科演技演出コースの教授として、年10回講義を担当していた。[出典1]
講師に就任することになったのは、日本のエンターテイメントを活性化したいと考えた細川が、ミュージカルの本場アメリカで芝居の勉強をしたことがきっかけだった。[出典4]
訃報
2011年1月12日、自宅の居間で倒れて転倒した際に頭部を強打。
細川はすぐに病院へ緊急搬送されたが、すでに意識不明の昏睡状態だったという。
結局、なすすべなく同月14日に帰らぬ人となった。[出典2]
死因は急性硬膜下血腫だった。[出典6]
自らを献体
生前、自身の献体を希望していた細川。
そのため葬儀や告別式は行われず、遺体は大学の医学部や歯学部で行われる人体解剖学実習の教材として無条件・無報酬で提供されたという。[出典6]