2017年4月18日更新
どんな人?
- 藤岡琢也は1966年のテレビドラマ『事件記者』(NHK)に出演し、注目を集めた。以来数多くの映画、テレビドラマや舞台に出演している俳優である。
- 1977年の映画『八甲田山』、『八つ墓村』に出演。どちらの作品も第1回日本アカデミー賞を受賞している。また、藤岡琢也自身は2002年に菊田一夫演劇賞の特別賞を受賞している。
- ジャズ好きとして有名である。2006年に76歳で死去した。
プロフィール
本名 | 藤岡琢也 |
生年月日 | 1930年9月4日 |
没年月日 | 2006年10月20日(満76歳没) |
身長 / 体重 / 血液型 | 165cm / 71kg / O型 |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
最終学歴 | 関西学院大学文学部中退 |
デビュー年 | 1957年 |
生い立ち
1930年、兵庫県姫路市に生まれる。[出典1]
関西学院大学文学部を中退している。[出典2]
芸能活動
1957年に劇団「葦」に入団し、劇団員として活動を始めた。[出典1]
1966年にはテレビドラマ『事件記者』(NHK)に出演し、注目を集める。[出典1]
その後はテレビドラマや映画、舞台等の様々な作品に出演していた。[出典1]
2002年には、数々の舞台に出演してきた偉大な功績を評価され、菊田一夫演劇賞・特別賞を受賞している。[出典1]
映画への出演
藤岡琢也は数十本の映画に出演している。[出典3]その中で、代表的な作品を以下に紹介する。
『八甲田山』(1977年公開)
この作品は新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とした映画で、藤岡琢也は門間少佐役で出演している。[出典6]
この映画は軍隊の中の、大部隊で自然に立ち向かう部隊と小数精鋭部隊で自然に逆らわない部隊の様子を、冬の雪山を舞台に描いている。監督は『日本沈没』で知られる森谷司郎が担当した。[出典6]
また、1978年の第1回日本アカデミー賞で作品賞・監督賞等を受賞している。[出典6]
『八つ墓村』(1977年公開)
この作品は横溝正史の同名の小説を原作とした映画で、藤岡琢也は久野医師役を演じている。[出典7]
この映画は、不遇な青年が怨念の息づく生地を訪れることにより、連続殺人事件にまきこまれる姿を描くミステリー作品である。[出典7]
また、1978年の第1回日本アカデミー賞で脚本賞・音楽賞等を受賞している。[出典7]
テレビドラマへの出演
1966年放送の『事件記者』(NHK)への出演の他、1990年にスタートした『渡る世間は鬼ばかりシリーズ』(TBS系)等にも出演している。[出典1]
『渡る世間は鬼ばかりシリーズ』(TBS)では大黒柱を務めていたものの、2006年2月に肺炎を患い降板した。なお、後任は宇津井健である。[出典1]
舞台への出演
藤岡琢也は数多くの舞台に出演しているが、主な出演作品としては
- 『ぎっちょんちょん』
- 『女系家族』
- 『孤愁の岸』
が挙げられる。[出典1][出典2]
また、2002年には長年の藤岡琢也の功績が評価され、菊田一夫演劇賞・特別賞を受賞している。[出典1]
菊田一夫演劇賞とは、日本の演劇界を語る上で欠かせない菊田一夫の業績を末永く伝えるとともに、演劇界の発展のために優れた業績を挙げた作家、演出家、俳優や舞台美術家などのスタッフを表彰するものである。[出典8]
CMへの出演
藤岡琢也はその庶民的な人柄から、インスタントラーメンや携帯電話等のテレビCMにも起用され、お茶の間でお馴染みの顔となっていた。[出典1][出典2]
私生活
ジャズ好き
藤岡琢也はジャズ好きとして有名である。[出典9]
また、特にトロンボーンが好きとのことで、1962年6月にジャズ評論家の油井正一から受けたインタビューでは
もし胸の病気をやらなかったらビッグ・バンドのトロンボーン奏者になろうと思うてましてん。
と語っている。[出典9]
2006年に死去
2006年10月20日、慢性腎不全のため死去。76歳であった。[出典1]
2007年8月には、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の故人を取り上げるコーナー「温故知人」で紹介された。[出典10]