2021年2月19日更新
出典:タレントデータバンク
角松敏生と同じ年の有名人
角松敏生は1960年08月12日生まれ。
同年1960年に生まれたタレントには、タレントのすずまさや歌手のEPOなどが挙げられる。
まだまだいる!
角松敏生と誕生年が同じ芸能人は、
こちらでチェック!
角松敏生と同じ出身地の芸能人
角松敏生は東京都出身。
同じ出身の東京都出身の有名人には、女優の泉川萌生や歌手の仲宗根美樹などが挙げられる。
まだまだいる!
角松敏生と同じ出身地の芸能人は、
こちらでチェック!
角松敏生と同じ月生まれのタレント
角松敏生は1960年08月12日生まれ。
同じ08月生まれの芸能人には、タレントの中島綾菜やナレーターの柴原奈津美が挙げられる。
まだまだいる!
角松敏生と同じ誕生日の芸能人は、
こちらでチェック!
角松敏生と同じ職業の芸能人
角松敏生はミュージシャン。
同じ職業(ミュージシャン)の芸能人には、タレントの美川憲一やタレントのまりえなどが挙げられる。
まだまだいる!
角松敏生と同じ職業の芸能人は、
こちらでチェック!
角松敏生と同じデビュー年の芸能人
角松敏生は1981年デビュー。
同じデビュー年の芸能人には、俳優の柄沢次郎やタレントの松本伊代が挙げられる。
まだまだいる!
角松敏生と同じ年にデビューした芸能人は、
こちらでチェック!
1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、1983年リリースの杏里『悲しみがとまらない』、1988年リリースの中山美『You're My Only Shinin' Star』はどちらも角松敏生プロデュース作品として業界チャート誌の1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行、同時に他アーティストのプロデュース作も上位に送り込んだ角松だったが、当時の音楽シーンへの疑問などに行き詰まった彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を「凍結」してしまう。しかしこの"凍結期間"には、「プロデュース活動」の依頼が殺到し、プロデューサーとしての手腕を存分に発揮することになってしまう。また、1997年にNHK"みんなのうた"としてリリースされたシングル『ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう』/AGHARTA(アガルタ:角松が結成した謎の覆面バンド)は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月<長野冬季オリンピック>閉会式の大舞台に立ち、今や国民的唱歌『WAになっておどろう』を披露。全世界に向けてこの映像が映し出された。「凍結」から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を「解凍」することを宣言。1998年5月18日、活動を休止した同じ日本武道館のステージに再びその姿を現した。その『He is Back』コンサートのチケットは発売5分でソールド・アウトとなる。翌年リリースしたアルバム『TIME TUNNEL』はチャート誌初登場3位を記録し、変わらぬ支持の大きさを実証してみせた。その後は、2作連続でシングルをTOP10入りさせるなど、作品ごとに新しいコンセプトで挑むアルバム、ライヴDVDなどをリリース。他にも映画音楽や映像作品の制作、そして、様々な形態で精力的にコンサートツアーも行い、その妥協を許さないスタンスとクオリティーで常に音楽シーンの最前線で走り続けている。2021年6月には、デビュー40周年を迎え、その記念ライヴを横浜アリーナで行った。
出典:タレントデータバンク