2022年2月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 近藤芳正(こんどうよしまさ)は、日本で活動する役者。愛知県名古屋市出身の1961年8月13日生まれ。松竹エンタテインメント所属。
- 中学生時代に、ドラマ『中学生日記』(NHK)にエキストラとして出演。その後、エピソード「闘争宣言」で主演を務めた。
- 役者を目指し、中学卒業後に上京。1981年に青年座研究所へ入所し、1984年には劇団七曜日の旗揚げから参加し、多数の舞台に出演。
- 1990年代には、三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台に参加。三谷が手がける映像作品にも参加し、以降映像作品にも多く出演している。
- 私生活では、2021年1月2日に一般女性と結婚した。
▼近藤芳正
生い立ち
近藤芳正は、愛知県名古屋市出身の1961年8月13日生まれ。現在年齢は63歳。松竹エンターテイメント所属。[出典1] [出典2]
与ひょう役がきっかけで児童劇団へ
近藤芳正は、小学校の学芸会で劇『夕鶴』の与ひょう役を演じたところ、観客からの評判がよく、中学校に入る頃には児童劇団に入ろうと思ったそう。
絵を描くことも好きであり児童劇団と両方をやりたかったが、親にどちらか一方を選ぶように言われ、児童劇団に入ることを選んだ。[出典3]
中学生の時に親が離婚
中学生の頃の近藤芳正は、人見知りな性格で人とのコミュニケーションのとり方がわからず、大変な思いをしたそう。[出典4]
また中学生の時に、両親の離婚を経験している。
当時は児童劇団に所属しており、テレビドラマへ出演していたため、撮影があったおかげで寂しい思いが少し和らいだそう。
この頃には、「俳優として生きていこう」と決めていたそう。[出典3]
高校は、日本福祉大学付属高等学校を卒業している。[出典5]
芸能活動
高校卒業後、本格的に俳優の道へ
近藤芳正は、中学生だった1976年に、ドラマ『中学生日記』(NHK)に出演した。[出典1]
[出典2]
高校卒業後の一年間は、ドラマ『中学生日記』(NHK)の先生役・湯浅実のもとでレッスンを受けている。
その後上京し、劇団「青年座」の研究所に2年間所属。アルバイトをしながら生活した。[出典3]
オーディションを何度も受けたものの、不合格が続いたという。
そんな中で受けた劇団「七曜日」のオーディションで合格。[出典3]
1984年には、劇団「七曜日」の立ち上げにも参加している。[出典2]
それでも生活できるほどの収入を得られず、様々な劇団に自らアプローチし出演するようになっていったそう。[出典3]
1991年には、三谷幸喜脚本の舞台を映画化した作品『12人の優しい日本人』に出演。[出典6]
本作への出演は、舞台『12人の優しい日本人』を見て感激し、「出たい」とアプローチしたのがきっかけであった。[出典3]
テレビ・映画にも多数出演
近藤芳正は、1995年のドラマ『王様のレストラン』(フジテレビ)に出演した。[出典1]
1996年には、西村まさ彦と舞台『笑いの大学』で二人芝居を披露。「読売演劇大賞」最優秀作品賞を受賞している。[出典7]
1997年には、ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ)に出演。[出典1]
1961年8月13日生まれ、愛知県出身の俳優。1976年『中学生日記』でデビュー。'79年に劇団青年座研究所に入所。映画『12人の優しい日本人』('91年)に出演、『THE 有頂天ホテル』(2006年)、『ザ・マジックアワー』(2008年)、舞台『笑の大学』(96年・98年再演)など三谷幸喜作品に数多く出演。ドラマでは、フジテレビ「王様のレストラン」「踊る大捜査線」、関西テレビ「GTO」などに出演。また、2001年から自身がプロデュースする「劇団 ダンダンブエノ」を立ち上げ、現在、2009年からは、ダンダンブエノから派生したソロ活動として「バンダ・ラ・コンちゃん」を始動し、舞台プロデュースの他、若手俳優に対してのワークショップを主宰し、後進の指導にも力を注いでいる。
出典:タレントデータバンク