2019年12月31日更新
どんな人?
- 鈴木ヒロミツは、歌手、俳優、タレント。1967年にバンド「ザ・モップス」のボーカリストとして芸能界入りを果たした。
- 1974年からは俳優としても活動し、テレビドラマにおいては『時間ですよ』(TBS系)や『夜明けの刑事』(TBS系)などに、映画においては『トラック野郎・御意見無用』、『戦国自衛隊』などに出演した。
- 2007年、肝細胞がんのため死去。死後、ノンフィクション・エッセイ『余命三カ月のラブレター』(幻冬舎)が出版された。
芸能活動
「ザ・モップス」として
弟のスズキ幹治が主催していた4人組インストルメンタル・バンドにヴォーカリストとして加入した鈴木。のちに「ザ・モップス」として1967年11月10日にレコード「朝まで待てない」をリリースし、デビューした。[出典1]
1971年3月25日には「月光仮面」を発売。本作はデビュー作以来の大ヒットとなり、ヤマハが主催した「’71作曲コンクール(第3回)」のグランプリを獲得している。[出典2]
俳優として
1974年からは俳優としても活動した鈴木。
テレビドラマにおいては『時間ですよ』(TBS系)や『夜明けの刑事』(TBS系)などに[出典1]、映画においては『トラック野郎・御意見無用』、『戦国自衛隊』などに出演している。[出典3]
名作CMに出演
1971年、モービル石油のCM「のんびり行こうよ」編に、ガス欠のクラシックカーを手押しするオーバーオール姿の青年役として出演。
本CMは昭和の名作CMのひとつとして知られている。[出典1]
私生活
死去
2007年3月14日、鈴木は肝細胞がんのためこの世を去った。
所属事務所によると鈴木は2006年12月末に体調不良を訴え、検査の結果、前述のがんにより余命3ヶ月を宣告されていたという。
鈴木は入院を拒み、家族との生活を希望。自宅療養をしながら通院を続けていたが、2007年3月に入ってからは著しく体調が悪化し、13日に入院。
翌日、鈴木は1人息子の呼びかけに応じたり、その名前を連呼するなどしていたが午前10時2分、妻と息子に看取られつつ息を引き取った。[出典4]
惜しむ声
「ザ・モップス」時代にギター・ボーカルを担当し、現在はプロデューサーとして活躍する星勝は、鈴木の亡くなる前日に病室を訪れている。
(見舞いに行くと)彼の方から、『頑張っているか』という声をかけてくれました。
バンドは解散しても、メンバーや、かかわってきた人たちのことをいつも気にとめているような人でした。
対面して、話ができてよかったが、本当に急な知らせで、びっくりしています。
音楽評論家の富澤一誠は、鈴木のミュージシャンとしての功績を次のように語る。
『月光仮面』が売れたが、コミックバンドではない、実力派ロックバンドだというプライドがあった。
いろいろなことに挑戦していたのだと思う。
(中略)彼は、日本の音楽界において、ロックのパイオニアだった。
俳優やタレントとしても成功していたが、根本には常にロックがあったと思う[出典4]
『余命三ヶ月のラブレター』出版
鈴木の死後、2007年5月11日にノンフィクション・エッセイ『余命三ヶ月のラブレター』(幻冬舎)が発売された。
同作は、医師から「余命三カ月」を言い渡された鈴木が、それ以降、自身の家族や仕事、仲間や人生や死について考えたことをまとめたものである。[出典5]
出演
映画
- 伊豆の踊子(1974年版) 板前 役