2022年5月17日更新
どんな人?
- 音尾琢真(おとおたくま)は、日本の役者・タレント。北海道旭川市出身の1976年3月21日生まれ。CREATIVE OFFICE CUE所属。
- 北海道大学の演劇研究会で出会った大泉洋・安田顕・森崎博之・戸次重幸と共に、演劇ユニット「TEAM-NACS」を結成した。
- 以降は北海道のラジオやテレビ番組に出演し、ローカルタレントとして活躍。大泉がレギュラー出演していたバラエティ番組『水曜どうでしょう』(HTB)にも出演している。
- 2005年頃からは北海道以外でも役者やタレントとして活動し、映画『アフタースクール』や大河ドラマ『龍馬伝』(NHK)などに出演した。
- 私生活では、2008年に役者の春日井静奈と結婚。2017年には第一子が誕生している。
▼音尾琢真
https://twitter.com/CUEFANMOBILE/status/1373560250285006848?s=20&t=qneZWZSGXbVJLHkORQYvUg
生い立ち
音尾琢真は、北海道旭川市出身の1976年3月21日生まれ。現在年齢は48歳。身長170cm。CREATIVE OFFICE CUE所属。[出典1]
家族と過ごすことが多かった
音尾琢真は幼い頃人見知りだったため、幼稚園に通っていた頃はトイレに行きたいことを伝えられず、失禁してしまったことがある。
小学校の入学式では友人が1人もおらず、教室に入れなかったという。
休日は家族と共に過ごすことが多く、キャンプやシュノーケリングをしていた。
また、当時独身だった叔父から可愛がられており、欲しいものをなんでも買ってくれていたため、音尾自身も叔父に着いて回っていたそう。
しかし、自身の父は警察官として働いていたこともあり非常に厳しく、自宅での食事は必ず正座で、一切逆らえなかったという。[出典2]
役者を目指したきっかけ
音尾琢真は映画や芝居などが特別好きだったわけではなかったが、ジャッキー・チェンの出ている作品だけは観ることが多かったという。
そのため高校入学時に、男子新体操部のバク転や宙返りを見て「ジャッキー・チェンになれるかも」と思い、同部に入部している。
部活引退後は大学受験の時期だったが、進学せず就職しようと考えていたという。
しかし父から反対され大学へ行くこととなり、新体操をしていたから踊りが上手く、歌が好きで、国語の朗読で声を褒められたことを思い出し、「ミュージカル俳優になる」と決心した。
その後、ミュージカルコースのある大阪芸術大学を第一志望とし、北海学園大学も受験。
大阪芸術大学に合格したため両親に伝えると、受かると思っていなかった両親から入学を反対され、北海道大学へ入学することとなった。[出典3]
芸能活動
音尾琢真は、北海道大学の演劇研究会に所属。
その後、同研究会に所属していた森崎博之・安田顕・戸次重幸・大泉洋と共に演劇ユニット「TEAM NACS」を大学在学中に結成し、活動を開始した。
大学卒業後は北海道のラジオやテレビなどに出演し、ローカルタレントとしても活動。
並行して「TEAM NACS」としても活動し、東京での公演なども行うようになった。
2005年頃からは自身も東京での活動が増え、2008年の結婚を機に本格的に東京での活動を開始している。
以降は、大河ドラマ『龍馬伝』(NHK)やドラマ『陸王』(TBS)、連続テレビ小説『なつぞら』や映画『検察側の罪人』、『るろうに剣心 最終章 The Final』など多くの作品に出演。
また、スタジオジブリ作品の『ハウルの動く城』や『思い出のマーニー』では、声優としても出演している。[出典3][出典4][出典5]
人物
- 父から、「人間は水の中では泳げないと死ぬ」と言われていたため、水泳を習っていた。
- 中学校入学後は卓球部に入部したものの、2ヶ月で退部し以降はどこの部活にも入らずゲームばかりしていた。[出典2]
- 高校時代に所属していた新体操部の練習中、頭から落下して記憶が途切れ途切れになったり、できていたことができなくなったことがある。[出典3]
- 映画監督の白石和彌は、北海道旭川西高等学校時代の先輩。[出典6]
- 昔から老け顔だと指摘されることが多かったため、早く歳をとりたいと思ってきた。
- 自分を曲げることが嫌い。[出典7]
- 私生活では、2008年に役者の春日井静奈と結婚。2017年4月に第一子が誕生している。[出典8][出典9]