2021年1月8日更新
その後、父親の仕事の都合で12歳の頃にアルゼンチンへと移住したシシド・カフカ。
だが、中学校1年〜2年生という多感な年頃であった点、また海外特有の言葉の壁もあり、シシドは友達を作ることが出来なかったという。
実際、当時のシシド・カフカは移住そのものに後ろ向きで、あくまでも親の都合で移り住まざるを得なかったことを明かしている。[出典4]
▼アルゼンチンは暗黒時代?
思い出の曲は?
そんなアルゼンチン在住時代、周囲に馴染めなかったシシド・カフカは、”律儀にも”修学旅行に参加することに。
その際、アルゼンチンの草原で、雲間から光が差し込んだのを見たシシドは、KinKi Kidsの「青の時代」を連想。それによって、心が落ち着いたという。
アルゼンチンではKinKi Kidsのほか、J-POPに親しんでいたそうだ。[出典4]
▼J-POP好き!
ドラムを始めて変わった景色
そんなシシド・カフカが、ドラムを始めたのは14歳の頃。
もともと、ドラムならではの「一歩引いたポジショニング」がお気に入りだったというシシドは、親におねだり。[出典2]
その結果、親からドラムセットを贈られ、シシドはドラムに没頭するようになった。[出典4]
▼ドラムが楽しい!
その結果、違うクラスの女の子から声をかけられたりと、シシドは音楽好きの友達に恵まれるように。
さらにシシドは、キーボードやアコギが演奏できる仲間とバンドを組んでスピッツの「ロビンソン」をカバーするなど、音楽の素晴らしさ・醍醐味を噛みしめるようになる。[出典4]
▼「ロビンソン」をカバー
日本に帰国後も、ドラマーとしてバンドのサポートなどを行っていたシシドだが、勧められたことがきっかけとなり、ドラムにくわえて歌も歌うというスタイルを体得した。[出典2]
『お前、ドラム叩けるんだから叩きながら歌ったら?』と最初は笑い話でした。私自身も『そんな大変なことはやりたくない』と言っていたのですが、その3ヶ月後にはドラムボーカルという今のスタイルでライブを行いました。[出典5]
▼歌って叩く!
大学卒業後はバーでバイト
シシド・カフカは、バンド活動を行いながらワインバーでバイトをしていたようだ。当時を振り返ってシシドは
バイトが終わったら、そこの常連さんやスタッフさんたちと朝まで飲んで。夕方まで寝て、またバイトしてみたいな。[出典6]
と語っている。また、バーの店長は自分のポリシーに反する客は追い払ったといい