2023年9月7日更新
タモリは、大分県でボウリング場の支配人として働いていた時赤塚不二夫と出会い、赤塚から上京のための切符を送られている。[出典4]
上京したタモリは赤塚の家に居候し、食事や小遣いを与えられ、不自由のない生活を送ったという。[出典4]
2008年に赤塚が死去した際、赤塚を”肉親以上の存在”と慕っていたタモリが、人生で初めて弔辞を読んでいる。[出典22]
弔辞の中でタモリは、
赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。[出典22]
と、恩人である赤塚に感謝の言葉を述べている。[出典22]
タモリは紙を手にし、8分にも及ぶ弔事を読み上げているが、紙には何も書かれていなかったことが判明。
タモリ曰く、弔辞内容を紙に書こうとしたが前日に面倒くさくなり、赤塚に対する弔辞なのだから、赤塚らしくギャグでいこうと考え、白紙でやることに決めたと明かしている。[出典26]
小田和正とは不仲?
タモリは1970年代後半、ラジオ番組『オールナイトニッポン』の毒舌パーソナリティーとして人気を博していた。
タモリは当時流行していた「ニューミュージック」を嫌っており、番組内で歌手・小田和正が参加していたグループ・オフコースを「見せかけの優しさ」だと批判。さらに「フォークソングは暗くて嫌い」と言い切ったことがある。
その後1984年2月に『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」ゲストとして、小田和正が出演。
緊張感が高まるスタジオで、かつてないほど観覧客は静まり返っていたそうで、火に油を注ぐ形で番組は終了。[出典27]
しかし2015年、タモリと小田は和解したと報じられており。フジテレビの中村光宏アナウンサーと、生野陽子アナウンサーの結婚披露宴がきっかけだったという。
披露宴前に小田がタモリに歩み寄って握手を交わし、披露宴のスピーチでは、タモリが小田に会えたことを喜んでいたそう。[出典28]
話題のタモリレシピ!
タモリがテレビ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)で紹介した、タモリ流の「豚の生姜焼き」が美味しいと話題に。
通常の生姜焼きでは、タレに肉を漬け込むが、タモリ流のレシピでは肉は漬けこまない。[出典29]
タモリ流「豚の生姜焼き」のレシピのポイントは、豚肉にあらかじめ小麦粉をまぶしておき、旨みを外に逃がさないようにすること。
さらに野菜は玉ねぎだけにして、砂糖は加えず、油も使わないで作る。
女優の田中麗奈が実際にタモリ流「豚の生姜焼き」を作り、絶賛。[出典30]
タモリ流のレシピでは、「ほぼ日刊イトイ新聞」で話題になったカレーもある。[出典31][出典32]
ターメリックやクミンといった香辛料の他、マンゴーチャツネや赤ワインも使った本格派のカレーで、材料が多く、煮込み時間も2時間強と手間のかかるレシピだが、真似した人から絶賛の声が上がっている。[出典33]
タモリはテレビで「ピーマンの煮浸し」のレシピも紹介したことがあり、話題となっている。[出典34]
タモリが安産祈願?
タモリはテレビ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)のトーク中に、女性器を表したマークのようなイラストを落書きしていた。
そのイラストを貰った人が超安産だったため、タモリは芸能界の”安産パワー”を持つ大物として知られるようになる。
実際、笑福亭鶴瓶の長女や藤本美貴、スザンヌ、渡辺満里奈がタモリ御守を持って出産に臨んでいる。[出典37]
さらに、フジテレビのアナウンサー・椿原慶子や、滝川クリステルが妊娠・出産したときも、タモリは安産守りを贈ったという。[出典38][出典39]