2023年9月7日更新
どんな人?
- タモリは、日本で活動するお笑いタレント、司会者。福岡県福岡市出身の1945年8月22日生まれ。田辺エージェンシー所属。ビートたけしや明石家さんまと共に「お笑いビッグ3」と呼ばれている。本名は森田一義(もりたかずよし)。
- 浪人生活を経て早稲田大学に入学。しかし、3年生の時に学費未納のため除籍処分されている。
- 大学を辞めた後は叔父に福岡へ連れ戻され、会社員として就職。その後地元でも有名な喫茶店のマスターに転職。また、月に1度上京し、素人芸人として活動していた。
- 上京時、漫画家でありタレントの赤塚不二夫に芸を気に入られたことがきっかけとなりテレビデビュー。その後現事務所に所属し、正式に芸能界デビューを果たした。
- 会社員時代に知り合った一般女性と1970年に結婚。なお、妻との間に子供は居ない。
▼タモリ(左)
https://twitter.com/musicjp_mti/status/1212123798486413312?s=20
生い立ち
タモリは、福岡県福岡市出身の1945年8月22日生まれ。現在年齢は79歳。血液型はO型。本名は森田一義。田辺エージェンシー所属。 [出典1]
タモリの家系は代々筑前藩に仕える長を治めた名家であり、タモリの祖父は戦前、満州鉄道の駅長を務め、タモリの両親も満州育ち。
また、両親はタモリが幼い頃に離婚しており、タモリは祖父母に育てられている。[出典2]
大学進学
タモリは1964年、早稲田大学の文学部哲学科に進学し、モダンジャズ研究会に所属。同研究会ではトランペットを演奏していたが、先輩から笑われるほど下手だったそう。
周りからは「喋りのほうが面白い」と言われ、モダンジャズ研究会のマネージャーや、ライブでの司会を務めることとなった。[出典3]
大学除籍後
タモリは学費として送られてきた仕送りを友人との旅行に使用。学費が払えなくなり、学費未納のため大学はわずか1年で抹籍処分を受けている。[出典3]
タモリは早稲田大学を除籍になったあと、福島へ帰郷。生命保険の勧誘員やボウリング場の支配人、フルーツパーラーのバーテンダーとして職を転々としており、その間、保険会社の同僚だった女性と結婚。[出典2]
その後タモリが30歳の時、福岡公演に来ていたジャズピアニストの山下洋輔と出会い、山下に勧められて再び上京している。[出典2]
芸能活動
ジャズピアニストの山下洋輔が、漫画家でタレントの赤塚不二夫にタモリを紹介。赤塚はタモリの芸を見てその才能に惚れ込んだという。
タモリは1976年、赤塚を特集した昼のワイドショーで芸能界デビュー。赤塚が生放送当日にテレビ局にタモリを連れていき、台本を書き換えタモリを出演させている。[出典4]
1970年代に放送された『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)では、「タモリのなんでも講座」というコーナーを任され、4ヵ国語マージャン、タモリ教授、イグアナのものまねなどを披露して人気を集めた。[出典5]
タモリのイグアナのものまねは世間に定着し、2014年に放送されたCM「プレミアムボス」内でも披露している。[出典6]
CMで話題になり流行語大賞受賞
タモリは1985年に栄養剤「ユンケル」のCMキャラクターに抜擢。
以前からテレビで”ユンケル黄帝液による風邪治し体験談”を披露していたことがきっかけで、CMに採用された。
CMでは、
疲れがタモレば、ユンケルだ[出典7]
の名セリフで注目を集め、「ユンケル黄帝液」は大ヒット。以降、タモリは16年間ユンケルのCMではキャラクターを務めている。[出典7]
また、1988年には「ユンケルンバ ガンバルンバ」で「第5回 ユーキャン新語・流行語大賞」の特別賞部門で人語一体傑作賞を受賞。[出典8]
出演番組
タモリの代表番組『笑っていいとも!』
タモリは、1982年10月4日から2014年3月31日まで『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演。平日12時から13時まで、毎日司会を務めた。[出典9]
同番組は32年間続いた長寿番組であり、2002年には通算放送回数5000回超えを記録。タモリは「生放送単独司会世界最高記録」としてギネスブックに登録されている。[出典10]
さらに番組も「生放送バラエティー番組放送回数最多記録」としてギネスに認定。[出典11]