2024年8月1日更新
出典:タレントデータバンク
ラモス瑠偉に関係するタレント
ラモス瑠偉は昭和32年2月9日生まれ。同年(1957年)に生まれたタレントには、7月16日生まれの女優の樋口のり子や12月2日生まれの俳優の猪又武春があげられる。
1977年に来日、読売サッカークラブでプレーする。1983年にJSL初優勝、翌年の連覇に大きな役割を果たした。その後通算5回の優勝に貢献、1979年、83年には得点王、79年、89/90、90/91シーズンにはアシスト王にも輝いた。【JSL2部1977~】出場4試合5得点。【JSL1部1978~1992】出場210試合(歴代9位)得点69点(歴代3位)。1992年のJリーグカップ、1993年にスタートしたJリーグでは、ヴェルディ川崎で引き続きプレー。1993年、94年にはリーグ優勝、リーグカップ勝者となり、94年サントリーチャンピオンシップでは芸術的なループシュートを決めた。1989年に日本国籍を取得し日本代表となり、横山謙三監督の下、91年キリンカップで優勝。92年にはハンス・オフト監督の下、ダイナスティカップ中国大会、AFCアジアカップ広島大会、アジアアフリカ選手権で初優勝に貢献した。FIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選でも中心選手としてプレーし、「ドーハの悲劇」と呼ばれる無念の結果に終わったが、1995年にはアジア大陸代表としてコンフェデレーションズカップに出場。1997年にはビーチサッカー日本選抜を編成し、ビーチサッカー世界選手権(リオデジャネイロ)に出場。1999年にはフットサル日本代表選手として第1回AFCフットサル選手権に出場。現役引退後は、ビーチサッカー日本代表の監督として指揮を執り(2005年、2009~13年、2018年~)、AFCビーチサッカー選手権優勝3回、準優勝1回、FIFAビーチサッカーワールドカップ4位(2回)、ベスト8に2度導いた。Jクラブの東京ヴェルディ1969(2007年J1昇格)、FC岐阜でも監督を務め、2020年3月に東京ヴェルディテクニカルダイレクターに就任。これまでの日本サッカー界、プロスポーツ界での功績を認められ日本プロスポーツ大賞・殊勲賞、Jリーグ功労選手賞、日本サッカー殿堂掲額者となる。「FIVBビーチバレーボールワールドツアー2019 4-star 東京大会」大会アンバサダーを務めるなどビーチスポーツの発展にも貢献。スポーツ、文化活動を通じた外交分野で功績が評価されブラジル政府からブラジル最高勲章の一つリオ・ブランコ勲章を受勲。2016年末に脳梗塞で生命の危機に陥るも奇跡的な回復と懸命のリハビリで復帰を果たす。現在、競技活動以外にもパラ応援大使(パラスポーツ・バリアフリー応援大使)、コメンテーター、タレント、教育など様々な分野で活躍中。
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