劇場版も公開された大人気ドラマシリーズ『ナースのお仕事』
ルー大柴は、2002年に放送されたドラマ『ナースのお仕事4』(フジテレビ)に出演。主演は観月ありさ。
本作は1996年の初回放送からこれまでに、全4シリーズとスペシャル版が放送されている、大人気ドラマシリーズ。2002年には劇場版として映画『ナースのお仕事 ザ・ムービー』も公開されている。[出典12]
最終シリーズとなった、ドラマ『ナースのお仕事4』(フジテレビ)では、ナース歴7年となり、ベテランを気取る朝倉いずみ(観月ありさ)の前に、新人ナース・河合ひろみ(安達祐実)がやってくる。朝倉いずみ(観月ありさ)は、河合ひろみ(安達祐実)を前に失敗を繰り返すどころか、逆に指導される始末となる。[出典13]
ルー大柴は、最終話に登場する患者・北沢洋一を演じた。[出典14]
人物
- ルー大柴は、2014年に日めくりカレンダー『きょうのルー語』を発売。ルー大柴の代名詞である”ルー語”を用いたことわざや名言が掲載された。また、発売記念イベントでは「寝耳にウォーター」という清涼飲料水が200名限定で配布された。[出典15]
- 2003年に放送されたバラエティ番組『探偵ナイトスクープ』(朝日放送)では、祖父がなくなってから元気がない娘と、祖父にそっくりなルー大柴さんを会わせたいという母親の依頼に応えた。その様子は出演者が涙するほど感動的であり、視聴者からも”神回”と称されている。[出典16]
- 高校卒業後にヨーロッパを旅した際、最初の3か月間は英会話学校に通学し、英語を学んでいた。当時は、会話はカタコトであったが、相手の話す内容は理解できたという。現在の英語力については”中学2年生の2学期レベル”だと述べている。[出典17][出典21]
- 仕事量が減っていた51歳の時、新しく担当となったマネージャーから促される形で、”チェンジマインド(自己改革)”に取り組んだ。具体的には、後輩の楽屋へ挨拶にいったり、仕事を選ばないなど。徐々に仕事が増えていくなか、マネージャーに勧められブログを始めたことが、2007年の再ブレイクへと繋がった。[出典2]
- 歌手で俳優の福山雅治が新人の頃、ルー大柴のラジオ番組にゲスト出演。そのことがきっかけで今も交流があるという。[出典18]
- ルー大柴が自身のブログに掲載した40年前の写真が、アイドルグループ「嵐」の二宮和也にそっくりだと話題になった。バラエティ番組『ニノさん』(日本テレビ)で該当の写真が紹介された際、二宮和也自身は似ていないと否定したが、出演者らは皆似ていると驚きの声を挙げていた。[出典19]
- ルー大柴は、日本ユニセフ協会の活動に10年以上協力。近年では、「世界手洗いの日」関連のイベントに無償で出演している。[出典20]
- 自身が発する”ルー語”で一番好きなのは「身をパウダー(粉)にする」だという。[出典20]
- ルー大柴は、芸能界きってのクリームパン好きとして知られる。甘いパンは好きではないが、クリームパンだけは特別で、ノスタルジーを感じるのだという。おすすめのクリームパンには、あんパンが有名な「木村屋」のクリームパンなどを挙げている。[出典22]
- ルー大柴はこれまでに3回、死に瀕したという。1回目は赤ちゃんのころで、父親のタバコの吸い殻を食べてしまい胃洗浄する事態に。2回目は小学生1年生の時、プールで溺れて知らないおじさんに助けられた。3回目は2011年頃、世界一暑いとされるアフリカのジブチ共和国で、40度を超える気温から熱中症になった。[出典23]
結婚
下積み時代に結婚
ルー大柴は27歳で結婚。[出典2]
当時は売れない俳優であったため、結婚を機に、
俺はあいつを幸せにするんだから、俳優を辞める![出典2]
と宣言したりするも、俳優の道を諦めきれずにいた。[出典2]
子供が誕生してからも、生活のために稼いだアルバイト代を劇団の費用として使ってしまうなど、夢を優先させてしまっていたという。[出典2]
当時の自分についてルー大柴は、
家族に心配かけて、正真正銘のクズですよ。[出典2]
と語っている。[出典2]
息子も”ルー語”を話す
息子とは仲が良く、2人で飲みいくこともある。
息子も”ルー語”で話すことがあり、妻はそんな2人にしばしば呆れているという。[出典21]
また、息子には子供が誕生しており、保育園に通っている。
ルー大柴は孫からプレゼントをもらった際、”グランチャ”からプレゼントをもらったと、その喜びをブログに綴っていた。[出典24]
公式ブログ
ルー大柴は公式ブログを運営。
自身の代名詞でもある”ルー語”で、プライベートやロケの裏話などを綴っている。
新宿で印刷会社の御曹司として生まれる。将来は若旦那となるはずが高校卒業後放浪の旅に。ヨーロッパをヒッチハイクしながら露天商などをする。帰国後アルバイトをしながら役者を目指し長い下積み生活を送る。34歳でようやくバラエティタレントとしてブレイク、その後役者に転身をはかり舞台役者の道へ行く。舞台を中心に活動していたためテレビ出演は減っていたが、2007年、ブログやテレビでの日本語の一部を英単語に変えて話す「ルー語」が話題となったことや、NHK『みんなのうた』に自ら歌う『MOTTAINAI~もったいない~』が起用されるなど再ブレイク。活動の場は多岐に渡る。
出典:タレントデータバンク