2022年2月3日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- ルー大柴(るーおおしば)は、日本で活動するお笑いタレント・俳優・茶人。東京都出身の1954年1月14日生まれ。株式会社Carino所属。
- 1977年放送のドラマ『俺たちの朝』(日本テレビ)でデビュー。モデル・舞台演劇などを中心に活動していた。
- 1989年に放送されたアデランスのCMでの「トゥギャザーしようぜ!!」というセリフが話題となり、ブレイク。
- 一時人気が低迷するも2007年、英語と日本語が織り交ざった”ルー語”が女子高生の間で話題となり、再ブレイク。
- 50歳を過ぎたころに、マネージャーからの勧めで茶道を始め、2013年には遠州流茶道師範となった。茶人としての名は「大柴宗徹(おおしばそうてつ)」。
プロフィール
芸名 / 読み | ルー大柴 / るーおおしば |
誕生日 | 1月14日 |
出身地 | 東京都 |
身長 / 体重 / 血液型 | 172.0cm / 65.0kg / A型 |
星座 / 干支 | やぎ座 / 午年 |
出典:タレントデータバンク
▼ルー大柴(左)
生い立ち
ルー大柴は、東京都出身の1954年1月14日生まれ。A型。
現在年齢は70歳。身長172cm。株式会社Carino所属。[出典1]
実家は印刷業を営んでいた
父親は印刷業を営んでおり、英語・ロシア語・中国語を話せた。
そのためか、「イートしなさい」などと会話に簡単な英語を織り交ぜることがあったという。
そんな父親は離婚をきっかけに家を出ており、その際に姉と異父姉弟であったことも明かされた。[出典2]
高校卒業後、ヨーロッパへ
ルー大柴は高校卒業後、自由を求めてヨーロッパを旅した。
自作アクセサリーを売りながら、ロンドン・オランダ・デンマーク・スウェーデンをヒッチハイクで周り、ギターを弾いたり歌を歌ったりすることで、各地の若者と仲良くなったという。
その後、祖父が死亡したという連絡を受け帰国。
帰国後は、祖父が亡くなったことによる相続争いに加え、高校時代からの彼女が突然亡くなってしまったことでノイローゼ状態に。
そのせいで自殺未遂を試みたこともある。[出典2]
そんな状況から抜け出せたのは、俳優になりたいという夢からだといい、
自分はあまりに弱い人間だと痛いほど感じたね。でも僕には『俳優になるんだ!』っていうドリームがあったはずだ。死ぬのはいつでもできる。バイマイセルフで生きて、夢に挑戦してみようじゃないかと思ったんだ。[出典2]
と語っている。[出典2]
芸能活動
俳優としての活動
ルー大柴は、俳優の故・三橋達也の付き人を経験したのち、俳優で映画監督の故・勝新太郎主宰の演劇学校「勝アカデミー」の第一期生となった。[出典3]
同アカデミーでは俳優で演出家の故・岸田森に師事し、同期にはタレントの小堺一機らがいる。[出典2][出典3]
俳優としてのデビュー作は、1977年放送のドラマ『俺たちの朝』(日本テレビ)。しかし、俳優として脚光を浴びることはなく、モデルや舞台演劇などを中心に活動していた。[出典2][出典4]
その後、同期である小堺一機を通じ、タレントの関根勤と出会い、2人のラジオ『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』(TBSラジオ)に出演したことがきっかけで名が知られるように。[出典5]
また、1989年に放送されたアデランスのCMに出演。CM内で発した「トゥギャザーしようぜ!!」というセリフが話題となり、タレントとして本格的にブレイクした。[出典4]
一時人気が低迷するも、2007年に自身のブログで披露していた英語と日本語が織り交ざった”ルー語”が女子高生の間で話題となり、再ブレイクを果たした。[出典6]
新宿で印刷会社の御曹司として生まれる。将来は若旦那となるはずが高校卒業後放浪の旅に。ヨーロッパをヒッチハイクしながら露天商などをする。帰国後アルバイトをしながら役者を目指し長い下積み生活を送る。34歳でようやくバラエティタレントとしてブレイク、その後役者に転身をはかり舞台役者の道へ行く。舞台を中心に活動していたためテレビ出演は減っていたが、2007年、ブログやテレビでの日本語の一部を英単語に変えて話す「ルー語」が話題となったことや、NHK『みんなのうた』に自ら歌う『MOTTAINAI~もったいない~』が起用されるなど再ブレイク。活動の場は多岐に渡る。
出典:タレントデータバンク