2022年6月29日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 中田喜子(なかだよしこ)は、日本の役者。東京都出身の1953年11月22日生まれ。ホリプロ所属。
- 1971年に歌手として芸能界入りし、翌年放送のドラマ『お祭り銀次捕物帳』(フジテレビ)で役者デビューした。
- 1990年からは、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)に出演。メインキャラクターである岡倉家の三女・文子を、20年以上に渡り演じている。
- 1979年から1988年には、クイズ番組『連想ゲーム』(NHK)の組キャプテンとして9年間活躍した。
- 私生活では、1979年に12歳年上の男性と結婚。しかし、夫の不倫が原因で2006年頃に離婚した。
▼中田喜子
生い立ち
中田喜子は、東京都出身の1953年11月22日生まれ。現在年齢は70歳。身長155cm。ホリプロ所属。[出典1]
地元は下町
中田喜子は東京都の築地で魚市場の仲介人として働く母のもとに誕生。
5人姉妹の末っ子であり、シングルマザーの家庭で育った。
母は芸事が好きだったため、次女と三女の双子と中田に日本舞踊を習わせていたという。
三女は宝塚歌劇団に所属しており、退団後は母の仕事を継いでいる。
また母と姉妹は非常に仲がよく、1991年に母が事故で他界した後は姉妹で協力し生活や家業について話し合うという。[出典2]
芸能活動
中田喜子は、1971年に歌手として芸能界入り。翌年放送のドラマ『お祭り銀次捕物帳』(フジテレビ)で役者デビューした。
1979年からは、クイズ番組『連想ゲーム』(NHK)で紅組5代目キャプテンとして1988年まで活躍し、人気を集めている。
1974年放送のドラマ『やっちゃば育ち』(TBS)でヒロイン、1997年放送のドラマ『岸辺のアルバム』(TBS)で注目を集めた。
1990年には、プロデューサー・石井ふく子と脚本家の橋田壽賀子のドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)に出演。
メインキャラクターである岡倉家5人姉妹の三女・文子を演じ、以降20年以上に渡り同役を演じブレイクした。[出典2][出典3][出典4]
以降も、ドラマ『ゆとりですがなにか』(日本テレビ)や『その女、ジルバ』(フジテレビ)、『僕の大好きな妻!』(フジテレビ)など多くの作品に出演している。[出典1][出典5]
人物
- ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)では長台詞が非常に多く、他のキャストが長台詞を言い終わったあと自分の台詞があると「間違えられない」と思い緊張していた。
- DIYが趣味であり、椅子作りや壁紙の張り替えはお手のもの。
- 帝国劇場、明治座、名古屋の御園座などの楽屋の壁を塗り替えたことがある。[出典2]
- 高校時代からドアやドアノブが好きで、よく解体していた。
- 20代の頃ドイツへ行った際、DIYグッズが売っている店を見て衝撃を受け、自身でもやってみるようになった。[出典6]
- 私生活では、1979年に12歳年上の男性と結婚。
- その後夫の不倫が発覚し、子どももいなかったため関係修復が難しく2006年頃に離婚している。[出典7]
公式SNS・ブログ
ブログ
出演
テレビ番組
出典
- 『中田 喜子(ナカダ ヨシコ)』(ホリプロオフィシャルサイト)
- 『【ヒューマン】中田喜子「渡鬼」5姉妹のヒントは中田家(1/5ページ)』(サンスポ)
- 『中田喜子 NHK人物録』(NHKアーカイブス)
- 『中田喜子のプロフィール・画像・写真』(WEBザテレビジョン)
- 『『僕の大好きな妻!』中田喜子「百田さんは知花にピッタリ」』(フジテレビュー!!)
- 『未来を照らす(2)スペシャルインタビュー 中田喜子さん』(UR都市機構)
- 『中田喜子が離婚!夫の浮気許せず…』(デイリースポーツ online)
11月22日生まれ、東京都出身の女優。1972年『お祭り銀次捕物帳』でデビュー。映画・テレビドラマ・舞台に多数出演。TBS『渡る世間は鬼ばかり』の三女・文子役として知られる。1993年『御いのち』にて第19回菊田一夫演劇賞を受賞。主な出演作は、TBS『渡る世間は鬼ばかり』、邦画『風の色』、CM『大正製薬「総合感冒薬パブロン」』など他多数。趣味・特技は、日舞。
出典:タレントデータバンク