2019年12月13日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 内場勝則は1982年にNSCへ入学。大阪校1期生となった。
- 1999年に吉本新喜劇の座長に就任する。
- 妻はお笑いタレント・女優の未知やすえである。
プロフィール
芸名 / 読み | 内場 勝則 / うちば かつのり |
誕生日 | 8月22日 |
出身地 | 大阪府 |
身長 / 体重 / 血液型 | 161.0cm / 54.0kg / B型 |
星座 / 干支 | しし座 / 子年 |
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生い立ち
1960年8月22日生まれ、大阪府出身。[出典1]
工業高校出身であるが、
2日目で製図書くの嫌やな、向いてないな、思いながら、3年過ごしました
と語っている。[出典2]
もともとはお笑い芸人を志望していたわけではない、とも語っている。[出典2]
芸能活動
内場勝則は1982年、NSC(NEW STAR CREATION)大阪校に第1期生として入校した。現在はお笑い芸人として活躍している。[出典1]
NSC卒業後はブラブラして過ごす
内場は『よしもと新喜劇』(毎日放送他)公式サイト内の「どこまで続く?数珠つなぎ座員紹介」で、座長の1人としてインタビューを受けている。[出典2]
インタビューの中で内場は、「NSC卒業後は2年ほどブラブラしていた」と語っている。[出典2]
当時は漫才ブームであったため、無理矢理に漫才コンビを組まされたというが、「どうも違う」と思いNSCの同期3人で「劇団インスタント」を結成。3人でコントをやっていたという。[出典2]
劇団インスタントは自然消滅
劇団インスタントとして活動していた当時、内場はチャンバラトリオから殺陣を習っていたという。殺陣ができる内場はやがて「斬られ役」として声がかかるようになったとのこと。[出典2]
また、NSCの創設者・冨井善則により、劇団インスタントの3人はそれぞれ大阪・梅田、難波や京都にある劇場(花月)で上演される新喜劇に出演するようになり、離れ離れにされた。[出典2]
その後内場は「役者をやれ」と、あとの2人は「作家をやれ」や「辞めろ」とそれぞれ言われた結果、劇団インスタントは自然消滅した。[出典2]
吉本新喜劇・座長に昇格
劇団インスタントの消滅後、内場は吉本新喜劇への出演を続けていた。[出典2]
その後、1999年に吉本新喜劇の座長に昇格。座長という役職については
僕ら旗揚げして座長になったわけじゃないですから、バトンもらって次に渡さないといけないものだと思います
と語っている。[出典2]
『面白い秋みつけた キャンペーン』
2015年9月、吉本興業と奈良健康ランドがコラボレーション企画『面白い秋みつけた キャンペーン』を行った。その記者会見には吉本新喜劇のメンバーとして内場勝則をはじめ、帯谷孝史、酒井藍、諸見里大介、新名徹郎、奈良健康ランドの湊和幸マネージャーが出席した。[出典3]
私生活
妻は未知やすえ
内場勝則は、同じく吉本新喜劇に所属するお笑い芸人・未知やすえと結婚している。[出典4]
結婚後、未知やすえにも座長就任の打診があったものの未知は断っている。
当時のことを未知やすえは次のように振り返る。[出典4]
15年くらい前でしたか、会社から「座長にならないか?」というお話をいただいてたんです。でもその時は結婚もしていましたし、まだ子どもが小さい頃でしたし、変な話、内場君も座長で、家の中に座長が2人もおったら、ややこしいじゃないですか。それに内場君の姿を見てたら、ものすごい大変やのもわかるし、違うところで神経を使っているのもわかりますし、2人でそうなってしまうのは、私の中では違うな、と思っていたので、お断りしてたんです。
出演
映画
舞台
テレビ番組
出典
1960年生まれ、大阪府出身のお笑い芸人。主によしもと新喜劇で活躍し、座長も務める。主な出演作は、NHK『心の傷を癒すということ』、映画『文福茶釜』、舞台『天下一の軽口男 笑いの神さん 米沢彦八』など、他多数。
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