2024年2月5日更新
ブンデスリーガ初ゴールは3年目
内田篤人がブンデスリーガに渡って初めてゴールを決めたのはおよそ移籍後3年目となる、ホッフェンハイム戦でのこと。また2012年のブンデスリーガベストイレブンに日本人としてたった一人選出された。[出典1]
13〜14年においての活躍&功績
内田篤人がシャルケ時代に残した功績は以下の通り(2017年9月時点)。[出典1]
【2013年5月】ブンデスリーガのオフィシャルサイト英語版ユーザーの投票で、強豪チームの選手を抑え右サイドバック部門1位を獲得。
2012-13シーンのベストイレブンに選出
【2014年9月】第6節、「ダービーマッチ」ドルトムント戦でフル出場。大衆紙ビルトからベストイレブンに選出。
【2014年10月】第8節、vsヘルタ戦でフル出場。勝利に貢献し専門誌キッカーからベストイレブンに選出。
【2014年11月】第10節、vsアウクスブルク戦で決勝点をアシスト、専門誌キッカーと大衆紙ビルトからベストイレブンに選出。キッカーにはMVPにも選ばれる。
【2014年12月】リーグオフィシャルサイトの投票で、2014-15シーズン前半戦サイドバック部門1位に選出。
キッカーが発表した前半戦の活躍選手ランキングでサイドバック部門7位。
内田篤人が怪我で長期離脱
順調な選手生活を送っていた内田篤人だが、2015年6月に右膝(膝蓋腱)の手術を行っていたことを明かした。長年痛み続けていた部位の手術により、15-16シーズンは復帰することが難しいことが明らかにされた。[出典1]
内田は結果的に639日間の長期離脱を容儀なくされたが、その後無事に復帰。治療中の苦悩を以下のように語っている。
この手術をやった人は大体引退しちゃってるので、自分も復帰できる保証がなかった。手術をした自分の選択が間違っていたかなと思った時が一番きつかった。[出典7]
長期間にリハビリで次第に細くなっていく自分の足を見て恐怖に襲われたという内田だが、耐え続けた結果は欧州リーグ1次L最終節で復帰の機会が訪れた。vsザルツブルク戦で後半38分1点ビハインドの状況で実戦としての復帰を果たした。[出典8]
ファンに愛された内田篤人の退団セレモニー
内田篤人は2017年8月にドイツ2部、ウニオン・ベルリンに完全移籍。9月10日、シャルケvsシュトュットガルト戦前に行われた退団セレモニーにスーツ姿で登場した内田はファンからの大きな歓声を受けた。
シャルケに在籍していた内田のプレーハイライト、クラブ関係者からの記念品授与などが行われ、その後のスピーチで内田は、
偉大なクラブであるシャルケの一員だったことは私にとって栄誉なことでした。サポーター、クラブ関係者そしてチームメイトはいつも私を支えてくれて、常に私の後ろに立ってくれていました。それは私が長い間怪我をしていた時もそうでした[出典9]
とサポーターに感謝の気持ちを述べた。[出典9]
▼ファンに愛された内田篤人
ウニオン・ベルリン時代の内田篤人
1部から2部のチームに移籍した理由
内田篤人が在籍していたシャルケは 1部の強豪チームであったが、内田は1部昇格に闘志を燃やすウニオン・ベルリンに移籍。
怪我で長期離脱していた内田は、シャルケの新監督・ドミニコ・テデスコが内田を主力として構想に入れていなかったことから、チームとの話し合いの末に移籍することが決定したという。
古巣である鹿島アントラーズからの誘いも受けていたようだが、内田はドイツに留まることを決め、再起を望んだ。[出典10]
▼ドイツで再起を図る!