この映像の最後には、吉川晃司が足を高く上げてシンバルをキックする様子も収められている。[出典8]
吉川晃司が語ったシンバルキックの秘話
吉川晃司がシンバルキックを始めたきっかけは、アメリカのパーカッション奏者であるシーラ・Eが行っていたからだという。[出典7]
ただ、シーラは低い位置にあるシンバルを蹴っていたのに対し、吉川晃司は高い位置にあるシンバルを蹴り上げている。これについては
あれはブルース・リーなの。ブルース・リー、ジャッキー・チェンを見て育ってるから真似してるうちにできるようになった。[出典7]
という背景があるそうだ。[出典7]
▼ブルース・リーを意識していたそうだ
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— Ж?ガルシア?ЖいいねG30 (@KOJIKIKKAWA0723) 2018年3月13日
体を張ってシンバルキックをする吉川晃司
ライブではシンバルキックを披露する吉川晃司だが、20回に1回は頭を打ち、40回に1回は骨折するそうだ。2016年12月に行われたライブでは頭を打ち、
頭、打ちました。いい感じに砕けていくのがいいね。[出典9]
とも語っていた。[出典9]
▼骨折しながらのシンバルキック
『紅白』に出入り禁止になった吉川晃司
1985年、『NHK紅白歌合戦』(NHK)への初出演を果たした吉川晃司。演奏中、口に含んだシャンパンを噴射するといった過激なパフォーマンスを披露していた。[出典10]
演奏後には、オイルを掛けたギターに火を付けて燃やした吉川晃司。さらに、ステージに残ったオイルの影響により、シブがき隊・布川敏和を転ばせるなどのアクシデントも発生した。[出典10]
こういったことがきっかけで、吉川晃司は『NHK紅白歌合戦』(NHK)に出入り禁止になったそうだ。[出典10]
▼オイルの影響で転んだ布川敏和
参加メンバー発表!!#布川敏和 さん pic.twitter.com/D18TdSpz6h
— 芸能人生ホームパーティー【公式】幹事オザワ編 (@nama_homepa) 2018年3月18日
吉川晃司に関係するタレント
吉川晃司は1965年8月18日生まれ。広島県出身。同じ年に生まれたタレントには、11月28日生まれの俳優の菊池均也や5月25日生まれの女優の押谷かおりなどがいる。同じ出身の広島県出身のタレントには俳優の柿辰丸や声優の竹口安芸子がいる。
出演
テレビ番組
映画
出典
高校水球の選手で「世界ジュニア水球選手権大会」の日本代表に選ばれ、最年少としてイタリア・エジプト遠征にも参加する。しかし、水球を断念し、プロとして音楽の道へ。シングル『モニカ』でデビュー。映画「すかんぴんウォ-ク」の主題歌となったこの曲はヒットし、その年の日本歌謡大賞最優秀新人賞ほか、8つの新人賞を独占する。1989年には布袋寅泰とCOMPLEX結成。1991年に解散し、ソロ活動に入る。また、俳優としても主演映画『ユ-・ガッタ・チャンス』でブル-リボン賞、毎日映画コンク-ル、日本アカデミ-賞、第22回ゴ-ルデン・アロ-賞などの各新人賞を受賞。以降、数多くの映画・テレビドラマに出演し活躍する。
出典:タレントデータバンク