どんな人?
- 宮世琉弥(みやせりゅうび)は、日本で活動する役者。宮城県石巻市出身の2004年1月22日生まれ。スターダストプロモーション所属。
- 小学5年生の時に地元のスーパーでスカウトされ、芸能界入りした。
- 芸能事務所「スターダストプロモーション」が運営する「EBiDAN SENDAI」に研究生として所属し、活動。
- 2018年にダンスボーカルユニット「M!LK」の新メンバーとしてグループに加入し、2020年1月30日に脱退した。
- 2019年から役者としても活動しており、グループ脱退後は役者業に専念している。
▼宮世琉弥
生い立ち
宮世琉弥は、宮城県出身の2004年1月22日生まれ。現在年齢は20歳。スターダストプロモーション所属。[出典1]
東日本大震災で被災・今も胸に残る母親の言葉
宮世琉弥は、建築家である父、母、妹3人の6人家族。[出典9][出典18]
宮城県石巻市出身で、7歳の時に東日本大震災で被災している。
小学校に迎えに来た母親と車で移動中、津波に襲われ流された経験もしていて、自宅も津波で流されている。
また震災から間もないころに、母親との会話で言われた「震災で命を落としてしまった人たちの分まで生きなさい」というフレーズは、胸に刻まれているという。[出典2]
芸能界入りのきかっけは?
宮世琉弥が芸能界に興味を持つきっかけとなったのは、2015年に女川町で行われた震災復興イベントだった。
同イベントで、アイドルグループ「ももいろクローバーZ」を観客として見たことで、人を感動を与えられるような人間になりたいと思ったという。
その矢先、スーパーで歩いているところを所属事務所のスターダストプロモーションにスカウトされて芸能界に入った。[出典2][出典3]
宮世琉弥は当時を振り返り、
小学生の時に東日本大震災で被災したのですが、復興支援としてももいろクローバーZさんが来てくださり、ステージを観た人が元気になる瞬間を見て、僕もエンターテインメントの仕事をしたいと思いました[出典10]
と語っている。[出典10]
芸能活動
ダンスボーカルユニット「M!LK」で活躍
宮世琉弥は、スカウトをきっかけにスターダストプロモーションの仙台営業所で、新人・若手俳優集団「恵比寿学園男子部」(EBiDAN)研究生として活動を開始。[出典4][出典5]
2018年には、「恵比寿学園男子部」の研究生から選抜される期間限定チーム「BATTLE BOYS」のメンバーに選ばれる。[出典5][出典6]
同年8月にはダンスボーカルユニット「M!LK」に加入。[出典7]
同グループに加入後、初となるシングル『Over The Storm』はオリコンウィークリーランキング2位、トータルセールス10万枚を超える売り上げを記録した。[出典19][出典20]
また2019年にはファンから苗字を募集して、“宮城から世界へ”という願いを込めて宮世琉弥に改名する。[出典7]
宮世琉弥は2020年1月に俳優業に専念するため、ダンスボーカルユニット「M!LK」を卒業した。[出典8]
俳優業に専念してドラマや映画の露出も急上昇
宮世琉弥は、2019年4月に放送されたドラマ『パーフェクトワールド』(関西テレビ・フジテレビ)でドラマ初出演を果たす。[出典7]
同年10月には映画『夏の夜空と秋の夕日と冬の朝と春の風』に出演。[出典11]