2016年6月11日更新
どんな人?
- 山口淑子は戦前の中国と満州国、日本、戦後の香港では李香蘭(り・こうらん、り・しゃんらん)として、第二次世界大戦後のアメリカでは「シャーリー・ヤマグチ」の名前で、それぞれ、女優・歌手として活躍した。
- 1951年に日系2世の彫刻家イサム・ノグチ氏と結婚。6年の結婚生活を経て離婚し、その後外交官の夫と再婚した。
- 『3時のあなた』(フジテレビ系)の司会をし、政治や社会をテーマとする事が増えた事をきっかけに、1974年に参議院議員を務めた。
プロフィール
本名 / 英名 | 大鷹淑子 / Shirley Yamaguchi |
生年月日 | 1920年2月12日 |
没年月日 | 2014年9月7日(満94歳没) |
血液型 | A型 |
出身地 | 中華民国奉天省奉天市北煙台 |
デビュー年 | 1938年 |
芸能活動
その数奇な生涯
山口淑子は旧満州に生まれた。13歳で歌手デビューし、李香蘭を名乗った。
1938年、国策会社「満州映画協会」 (映画製作会社)の専属俳優となる。当時、出演した映画では日本の植民地経営のスローガンを体現するヒロインなどを演じた。出演作が大ヒットし俳優として人気を集めると、更に歌手としても人気を集めた。
その間も日本人であることを明かさなかったため、終戦時には日本に協力した中国人として処罰されそうになったという。
戦後は山口淑子名義で日本の映画などに出演。テレビのワイドショーの司会、参議院議員としても活動した。
2014年9月7日、94歳で死去した。[出典4]
歌の吹替えで出演の予定が主演女優へ
山口淑子は13歳で歌手デビューしているが、女優業をはじめるに至った経緯が少し変わっている。
山口が北京の女学校で歌の勉強をしていた18歳のころ、知人の紹介で、映画の主演女優の歌の吹替えを依頼された。
当時既に李香蘭という名で歌手デビューしていた山口は歌で協力できるのなら、と撮影所に行った。すると、その場でいきなり「この子を主役にしちゃおう」と言われ、結局、山口の許可なく急遽、主役に抜擢され『蜜月快車』で女優デビューをしたという。[出典1]
日本での活動
女優デビュー後は1969年にワイドショー『3時のあなた』(フジテレビ系)の司会を務めた。
1974年には参議院選にも立候補し、見事当選している。政治活動にも力を注いだ。[出典4]
死後
日本アカデミー賞 会長特別賞
山口淑子は没後、第38回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞している。
会長特別賞とは永年に渡り、多大なる貢献と顕著な実績をしるした故人に与えられるものとされている。
俳優からは他に故・菅原文太が受賞している。[出典2]
ミュージカル『李香蘭』再演
山口淑子の死後、その半生を描いたミュージカル『李香蘭』が再演された。
1991年の初演から主演を勤める女優・野村玲子は
苦しんだ人たちの未来に、私たちがいる。山口さんに捧げるつもりで演じたい[出典3]
と語った。
この物語は山口淑子の少女時代に始まり、満州映画協会ログイン前の続きのスターとしての活躍、戦後中国での裁判までの半生を描く。
野村は素顔の山口のことを
魔力、というんでしょうか。色っぽくていらっしゃるのに、さばさばしておちゃめで[出典3]
と表現している。[出典3]
出演
映画
1952年『霧笛』[出典5]
1952年『戦国無頼』[出典6]
1952年『上海の女』[出典5]
1953年『抱擁』 [出典5]
1954年『土曜日の天使』[出典6]
1956年『白夫人の妖恋』[出典5]
1958年『東京の休日』[出典6]
1958年『アンコール・ワット物語 美しき哀愁』[出典6]