2019年7月25日更新
▼しずちゃんと梅津トレーナー
初対戦
それまで対戦経験のなかったしずちゃんは、2010年にはじめてリングに立った。
しかし結果は惨敗。梅津トレーナーは「今日の試合は15点だ」と酷評していた。
当時を振り返り、しずちゃんは、
相手はスパーリングであれ、試合相手を倒すぞ、という気迫がすごかった。
でもこっちは気持ちの作り方を知らなかったんです
と経験不足を反省しつつ、
梅津トレーナーとの出会いがなかったら五輪を目指さなかっただろうし、私以上に五輪を目指すことに責任を感じてくれていました
と感謝の気持ちを口にしていた。[出典5]
▼しずちゃん
梅津トレーナーの急死
しずちゃんを叱咤激励してきた梅津トレーナーは2013年7月23日、悪性黒色腫のため44歳の若さでこの世を去った。[出典6]
引退
2015年10月19日、山崎はボクシングを引退すると発表。
ボクシングがなかったら、私の人生、今がなかったし、これから仕事をしていく上でも、自信をもたせてくれた
としたうえで、引退理由については、
心と体がついていかなくなった
月ごろから体調が悪く、思うように練習ができなくなった
世界の壁に当たった
などと説明。
梅津トレーナーが急死して以来、ひとりで五輪出場を目指してきたしずちゃんは、
梅津さんが亡くなったとき、これからは自分だけで頑張るって誓って、決めて。
自分で自分のケツをたたいてやってきたけど、やっぱり、どんどん苦しくなっていって、梅津さんの存在の大きさを感じました
と瞳に涙をためていた。[出典7]
出演
ラジオ番組
- 山里亮太の不毛な議論 (TBSラジオ)