2022年11月28日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 岩井勇気(いわいゆうき)は、日本のお笑い芸人。埼玉県出身の1986年7月31日生まれ。ワタナベエンターテインメント所属。
- 幼馴染である相方の澤部佑と共に、2005年にお笑いコンビ「ハライチ」を結成した。
- 2009年の漫才コンテスト「M-1グランプリ」で決勝まで勝ち進み、これをきっかけにブレイクしている。
- バラエティ番組『ゴッドタン』(テレビ東京)の「腐り芸人」キャラでピンでも人気を集めた。
- エッセイなども執筆しており、アニメ好きから自身で企画・脚本を担当したゲームやドラマCDなども制作している。
▼岩井勇気(左)
生い立ち
岩井勇気は、埼玉県出身の1986年7月31日生まれ。現在年齢は38歳。身長171cm。ワタナベエンターテインメント所属。[出典1]
相方の澤部佑とは幼稚園からの幼馴染であり、中学時代に澤部と共にお笑い芸人になることを決めた。
また小学生の頃からネタを考えるような立ち回りをしており、以降ネタを執筆。
中学時代には「1番面白い」と一目置かれてはいたが、人気者タイプではなかったという。
また中学時代は澤部を含めた3人でトリオを組んでおり、高校卒業後に芸人になるつもりだったが、1人脱退してコンビとなった。[出典3]
芸能活動
岩井勇気は高校卒業後、澤部佑と共に「ワタナベコメディスクール」に特待生として入学。
2005年にお笑いコンビ「ハライチ」として活動を開始し、スクール卒業後は事務所のライブに出演していた。
下積み期間を経て、2009年開催の漫才コンテスト「M-1グランプリ」で決勝に進出し一気に注目を集めブレイク。
以降は多くのバラエティやラジオ、CMなどに出演し、『ピカルの定理』(フジテレビ)などにレギュラー出演している。[出典2][出典3][出典4][出典5]
バラエティ番組『ゴッドタン』(テレビ東京)で「腐り芸人」キャラがブレイクし、長年「じゃないほう芸人」として扱われてきた境遇などを替え歌で自虐するなどして人気を集めた。
以降も腐り芸と毒舌を駆使して笑いを取り、2020年放送のお笑い特番『史上空前!!笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2020』(TBS)では渡辺奈美とのコラボコンビでギャップを見せ、SNSを中心に大きな話題を集めている。[出典6]
芸人以外にはエッセイストとしても活動し、『僕の人生には事件が起きない』などを執筆。
またアニメ好きが高じ、ゲームプロデュースやドラマCDの企画・脚本なども担当している。[出典2][出典4]
人物
- デビュー当初は黒髪のおかっぱヘアーであり、ヘッドスパに通うなど髪にこだわりを持っていたが、バラエティ番組『ピカルの定理』(フジテレビ)内の罰ゲームで2度も丸刈りにされたことがある。[出典5]
- 陰なキャラクターというイメージがあるが、本来の自身はそれと真逆な生活を送っていると語っている。
- 身内にのみウケればいいという考えが嫌いで、いつでも新規のお客さんが笑えるようなネタ作りを考えている。[出典6]
- お笑いトリオ「我が家」の杉山裕之を嫌っており、「息の根を止める」とまで言っている。[出典7]
- タレントの坂下千里子は岩井をテレビで初めて観た時からファンであり長年応援してくれていたため、「命の恩人」「坂下さんがいなかったら辞めてた」と慕っている。[出典8]
公式SNS・ブログ
ツイッター
出演
テレビ番組
ラジオ番組
出典
- 『ハライチ』(ワタナベエンターテインメント)
- 『岩井勇気(ハライチ)』(CDJournal)
- 『ワタナベコメディスクール特集ハライチインタビュー』(お笑いナタリー)
- 『岩井 勇気 プロフィール』(文春オンライン)
- 『ハライチ岩井「ピカル」でまた丸刈りに』(デイリースポーツ online)
- 『ハライチ岩井勇気の“塩の魔人コント”に続く反響、 腐りイメージ覆すギャップを解放』(ORICON NEWS)
- 『有名人マジギレ事件簿(15)〜ハライチ岩井が殺そうと思うほど嫌う先輩芸人〜』(リアルライブ)
- 『ハライチ岩井、坂下千里子に感謝「命の恩人」「いなかったら…」』(マイナビニュース)
1986年7月31日生まれ、埼玉県出身のお笑い芸人。お笑いコンビ「ハライチ」として活動。主な出演作はテレビ東京『おはスタ』、テレビ朝日『まんが未知』、テレビ埼玉『ドレスキーとコレスキー』、NHK『Doki Doki! NHKワールド JAPAN』、TBSラジオ『ボートレース戸田presents ハライチ岩井 ダイナミックなターン!』、YouTube『デジモンカードバトル』『バトスピ エクストリームリーグ』、ニコニコ生放送『ハライチ岩井勇気のアニ番』など他多数。
出典:タレントデータバンク