2022年2月3日更新
どんな人?
- 斎藤晴彦は1969年に佐藤信らと旗揚げした「劇団黒テント」の創立メンバー。アングラ演劇ブームをけん引し、2004年まで黒テントの代表を務めていた。
- ドラマ・映画・CMで活躍し、1985年にはKDDIのCMに出演。クラシック歌手役で国際電話を「トルコ行進曲」に合わせ、PRする替え歌を歌って話題になった。
- 2014年6月27日に都内の自宅近くで突然倒れ、救急車で近くの病院に搬送されたが、治療のかいもなくそのまま息を引き取った。死因は不明。73歳だった。
芸能活動
芸歴
劇団黒テントの創立メンバー
斎藤は「劇団青俳」「発見の会」に所属後、1969年に佐藤信らと旗揚げした「劇団黒テント」の創立メンバーに。アングラ演劇ブームをけん引し、2004年まで黒テントの代表を務めた。
演出も手掛けながら、若手俳優の育成にも力を入れていた。[出典1]
俳優として
ドラマ・映画・CMで活躍し、1985年にはKDDIのCMに出演。クラシック歌手役で国際電話を「トルコ行進曲」に合わせ、PRする替え歌を歌って話題となった。
1986年から2年間、深夜番組『11PM』(日本テレビ系)水曜日のメイン司会に。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』ではテナルディエ役を演じた。[出典1]
舞台俳優として
舞台では故・森光子主演の『放浪記』で劇作家の菊田一夫を演じ、上演2000回の記念舞台にも共演した。森に心酔し、石川・山中温泉に建設された森光子記念館にも足を運ぶなど、PRにも積極的に協力した。[出典1]
また、斎藤は芝居について以下のように語っている。
僕はやっぱり自分が役者だから、芝居というものはどんなに素敵なものかということを、お客さんにわかってもらいたい。その為に、一生懸命がんばりたいですね。
やっぱり、芝居っていうものは人間が生でやっているわけで、いちばん人間の魂を揺さぶるものだと思うんですよ。
お客さんが我がことのように、「ああ、あれは私のことを言ってるんだ。私のことをちょっと悪口言ってるな。私のことを褒めてるな」みたいな。
そういう芝居をやるべきだと思うんですよ。単なる娯楽とかではなくて、お客さんが来て、青ざめて帰るような芝居もあっていいと思うし、泣きながら帰るようなものがあってもいい。
何か、お客さんが芝居を観て、一生の思い出になるようなものをやりたいなと思っているんですよね。
人を観るのに、人がお金を払って来るのは、実に不思議なことだと思うんですよ。
やっぱりそれは、役者から何かを買うってことだと思うんですよ。役者は何かを売ってるわけです。
それは、何かね、心っていうか、魂みたいなものだと思うんですよ。[出典2]
私生活
突然の死
2014年6月27日に都内の自宅近くで突然倒れ、救急車で近くの病院に搬送されたが、治療のかいもなくそのまま息を引き取った。73歳だった。
所属の劇団黒テントによると、斎藤は1人暮らしで、劇団関係者が身元を確認したが死因は不明。前日まで黒テントの舞台の稽古に普段通りに参加し、特に変わった様子はなかったという。[出典1]
2年前にも
斎藤は2012年にも自宅で倒れた経験があった。その時は自ら「具合が悪い」と119番通報。
救急車で搬送され、一命を取り留めた。心不全の中等症と診断され、出演を予定していた舞台を降板したが、その後仕事に復帰。
定期的に通院して治療を受けながら、2014年4月には舞台に出演し、5月には自らのミニコンサートを行うなど元気だった。同年内にも黒テント公演に出演する予定があったという。[出典1]