2021年9月9日更新
ほとんど「ポール!」「ジョン!」という声ばっかりだったから、僕は「ジョージ!」って叫びましたけどね[出典4]
と語っている。[出典4]
また、そんなビートルズのコンサートを体験した沢田研二は
こんなものにはなれない[出典4]
と思ったそうだ。[出典4]
沢田研二とザ・タイガース
1967年2月5日、「ファニーズ」改め「ザ・タイガース」はデビューシングル「僕のマリー」をリリース。当時のメンバーは
- 瞳みのる
- 森本太郎
- 岸部一徳
- 加橋かつみ
- 沢田研二
である。[出典5]
なお「タイガース」の由来は、拠点を大阪から東京に移した5人を見たすぎやまこういちが、「大阪=阪神タイガース」と連想したことにある。[出典5]
グループ・サウンズ(GS)ブームの頂点
沢田研二が所属したザ・タイガースは
- 「青い鳥」
- 「君だけに愛を」
などのヒット曲を世に送り出し、当時グループ・サウンズ(GS)ブームの頂点に立っていた。[出典5][出典6][出典7]
4年で解散
ヒット曲を持ち、グループ・サウンズブームの頂点に立っていたザ・タイガース。アーティストとして後楽園球場(当時)でコンサートを開いたり、チョコの宣伝役にもなっていた。[出典3][出典6]
しかしタイガースは、1971年に解散。4年で解散したタイガースだが、沢田研二はこの経験を
七転八倒してきた結果ではあるけれど、誰もができることではない、貴重な経験をさせてもらったと思います[出典3]
と語っている。[出典3]
2013年に再結成
2013年1月6日、沢田研二はライブ中にザ・タイガースの再結成を発表。同年9月にはニューシングル『THE TIGERSのWhite Christmas』をリリースし、約30年ぶりにオリコンチャートTOP100入りを記録している。[出典8][出典9]
そして2013年12月に開かれた再結成ツアーの初日には、1万3千人のファンを前に沢田が
タイガースに光をあててくれてありがとう![出典10]
と「復活宣言」。このコンサートには吉永小百合や内田裕也も足を運んだ。[出典10]
▼再結成ツアー初日には吉永小百合の姿も
沢田研二のソロ活動
ザ・タイガースの解散後、沢田研二はバンドでの活動にこだわりながらもソロで活動するようになった。[出典3]
また、後にザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦が沢田個人のプロデュースを始めると、沢田は化粧やピアスを着けて活動するように。[出典3]