2021年9月9日更新
彼のこうした服装には賛否両論あったが、沢田研二本人は
僕はもともと男らしくない人間ですし、男だって女々しくていいじゃないかという考えです。逆に僕の中では、化粧をする、と決断することが男らしい[出典3]
と考えていたそうだ。[出典3]
曲も衣装も話題に
ソロ活動を始め、加瀬邦彦とタッグを組んだ沢田研二は
- 「許されない愛」
- 「危険な二人」
などのヒット曲を生み出した。[出典11]
さらに、当時は曲だけでなく沢田研二の衣装もファンの間で話題になった。この衣装は早川タケジがデザインしたものである。[出典11]
名曲「勝手にしやがれ」
1977年にリリースされた、沢田研二の名曲「勝手にしやがれ」。この曲は
らにカバーされるなど、2010年代に入っても愛されている。[出典12][出典13]
『夜のヒットスタジオ』に102回出演
沢田研二は『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に、1975年から1990年までの15年間で102回出演した。[出典14]
2011年にはそのときの映像が収録されたDVD『沢田研二 in 夜のヒットスタジオ』がリリースされている。[出典14]
▼『沢田研二 in 夜のヒットスタジオ』のPR映像
沢田研二の愛称・ジュリー
1960年代、中性的なビジュアルで多くの女性から支持されたジュリーこと沢田研二。ちなみにジュリーの由来は、沢田がジュリー・アンドリュースのファンだからだという。[出典15][出典16]
ジュリー・アンドリュースとは?
ジュリー・アンドリュースはイギリス出身の女優である。代表作として
- 『サウンド・オブ・ミュージック』
- 『メリー・ポピンズ』
が挙げられ、特に『メリー・ポピンズ』ではアカデミー賞主演女優賞を受賞している。[出典17]
沢田研二の妻
沢田研二の妻は田中裕子である。2人は1982年に沢田のコンサートで出会い、同年末には映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演。すると熱愛の噂が立ち始めたが、実際に結婚したのは1989年のことである。[出典18][出典19]
▼沢田研二の妻・田中裕子
https://twitter.com/oricon/status/991242980299173888
伊藤エミと結婚していたのに…
田中裕子との熱愛話が浮上し始めた頃、沢田研二は「ザ・ピーナッツ」の姉・伊藤エミと結婚していた。そのため当時、沢田と田中は不倫関係であった。[出典18]
そして1986年、沢田研二は当時の妻・伊藤エミと息子を残して家出。このとき彼は、ハンコを押した離婚届を残していったとも言われており、翌87年1月には2人の離婚が成立している。[出典20]