2024年2月6日更新
充実した中学生時代を過ごしていた生駒里奈だが、高校に進学すると再びイジメの標的になってしまう。[出典6]
そんな現状に嫌気が差した生駒里奈は逃げ出したいと思ったそうだ。[出典6]
父親の提案
高校一年生の夏休み、生駒里奈の父親が乃木坂46のオーディション話を持ってきた。当時の生駒里奈の心境は、
(高校での)3年間ムダにするなあ、って思っていた[出典6]
そうで、どうせなら毎日踊れるアイドルの方が良いなと思ったそうである。
ちなみに、父親は芸事が好きではないそうだが、なぜかそのオーディション話を勧めてきた。[出典6]
最終選考でアピールしたのは…
このようにして、生駒里奈は乃木坂46のオーディションを受けることになった。
彼女はあれよあれよと審査をクリアしていき、最終審査にたどり着いた。[出典7]
4次審査の時点で落ちるだろうと思っていた生駒里奈は通過してしまって、
あれ、お母さん、最終審査まで進んじゃったよ! どうしよう?[出典7]
と、困惑したと語っている。
そして、運命の最終審査。生駒里奈は地元が同じ、加藤夏希や渡部秀に続く3番目に有名な芸能人になりたいとアピールしたそうだ。[出典7]
最終審査からの帰り道は寝台列車で
無事最終審査を終えた帰路は、寝台列車だったと生駒里奈は明かしている。[出典8]
寝台だったら寝て帰れるし“良かったね~”とお母さんと帰ったな~[出典8]
変わってしまった人々と決意
オーディションに合格した生駒里奈を待っていたのは、それまでと態度が変わった地元の人々だった。
親友はそれまでと同じように接してくれたけど、ほかの人たちは急に接し方が変わってしまったんです[出典8]
そのことに悔しさを感じた生駒里奈。しかし、だからこそ、
そういう人たちにも自分のことをちゃんと認めてもらえるようになりたい[出典8]
との想いを抱き、上京の決意をした。[出典8]
生駒里奈の乃木坂46での活動
2011年8月に誕生した乃木坂46。[出典8]
生駒里奈はデビューシングルから5thシングルまでセンターを務めていた。[出典9]
センターに選ばれた心境は?
グループに加入してすぐにセンターを任された生駒里奈。その当時の心境を振り返った彼女は、
上京して学校も変えて、お金も掛けてきてて、「もうやるしかない」っていう思いが心のどこかにあったような気がする
と、決して前向きな気持ちを抱いていた訳ではないと語っている。[出典10]