2019年8月30日更新
どんな人?
- 神田うのは、神奈川県出身のモデル・女優。
- ウェディングドレスを中心とするデザイナーとしても活躍。2004年には、芸能人のデザイナーとして初めてパリコレに出展した。
- 元官僚の実家に生まれた。実の弟はお笑いコンビ「ハマカーン」の神田伸一郎。
- 2007年にレジャー産業会社社長の西村拓郎氏と結婚。2011年に娘を授かった。
- インスタグラムとブログを運用中。
▼神田うの
生い立ち
神田うのは、モデル・女優・ファッションデザイナー。
1975年3月28日生まれなので、現在の年齢は47歳。
身長は169cmで、神奈川県出身。[出典1]
実家の父親は、元旧通産省の官僚。
幼少期には、父親の仕事の関係でインドのジャカルタに移住したこともある。[出典2]
デビュー・芸能界進出
14歳でモデルデビューを果たし、雑誌『プチセブン』の専属モデルとして活動していた。
19歳で本格的に芸能界に進出。
バラエティを中心に活躍するほか、女優やファッションデザイナーとしても活動する。
2004年には、デザイナーを務めるウエディングブランドの「ScenaD’ uno」が、芸能人デザイナー初のパリコレ進出を果たした。[出典4]
タレントとしての活動
神田うののタレントとしての活躍は、写真集『少女革命』を見たスタッフに声をかけられ、テレビ番組のMCを務めたことがきっかけ。
正直な物言いが話題になり、レギュラー番組が10本あった時期もある。
毒舌が反感を買いマスコミや世間に叩かれることもあり、事務所に「モデルに戻りたい」と相談したこともあったという。 [出典5]
これまでに出演してきた主なバラエティ番組は、以下の通り。[出典6]
- 『王様のブランチ』(TBS系)
- 『学校では教えてくれないこと!!』(フジテレビ系)
- 『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)など
デザイナーとしての活動
女優やタレントとしてだけでなく、デザイナーとしても活動する神田うの。
ウエディングドレスを主に、ストッキングやランジェリー、ジュエリーのデザインも手がける。
2008年には自身のブランド「UNO KANDA」を設立。[出典7]
傘やグローブ、バッグなどのアイテムを発売している。[出典12]
ウェディングドレスブランドのチーフデザイナーとして
「シェーナ・ドゥーノ」は、神田うのがチーフデザイナーを務めるウエディングドレスブランド。
2004年にはパリコレに出展するなど、業界も注目のブランドだ。[出典8]
花やリボンのモチーフを使用したデザインが特徴的で、 デザインはもちろん素材やカッティングにも神田うののこだわりが反映されている。[出典9]
▼「シェーナ・ドゥーノ」のドレス
出演作(映画・ドラマ)
神田うのの主な出演作品をご紹介しよう!
代表作年表
1996年 ドラマ『ナースのお仕事3』(フジテレビ系)[出典10]
1999年 ドラマ『隣人は秘かに笑う』(日本テレビ)[出典11]
2001年 NHK大河ドラマ『北条時宗』[出典12][出典13]
2009年 映画『BABY BABY BABY! 』[出典12]
『ナースのお仕事3』に出演
神田うのは、2000年に放送されたフジテレビのドラマ『ナースのお仕事3』に、新人ナース・まどか役で出演していた。[出典14]
同作で共演した観月ありさとは交流が続いているらしく、度々神田のインスタグラムに登場している。[出典15][出典16]
私生活
ここからは、神田うのの私生活を見ていこう。
会社社長と結婚
2007年、神田うのは、レジャー産業関連の会社社長である西村拓郎氏と結婚した。[出典17]
結婚する前も何度かプロポーズをされたことがあったという神田うのだが、“結婚嫌い”で断っていたという。[出典5]
しかし、結婚相手になった西村氏にプロポーズされた時は、
断る理由が何もなかったですね。[出典5]
とのこと。[出典5]
家庭に入らず働き続ける神田を理解してくれ、成長させてくれる存在だと語っていた。
2011年には、女の子を授かったことを報告した。[出典18]
9回の結婚式
ウェディング関連の商品をプロデュースしていることもあり、神田うのは結婚した2007年から2011年までに合計9回の結婚式を挙げている。