2019年12月13日更新

出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 若槻千夏はタレント、元グラビアアイドル。1984年5月28日生まれ。埼玉県出身。
- 17歳の時に渋谷の109でスカウトされ、元気な笑顔とエネルギッシュな動きでトップグラビアアイドルとして大活躍する。その後、バラエティ番組に出演。珍回答連発で「おバカキャラ」として大人気となる。
- 人気絶頂の中、2007年に芸能活動を休止し、渡米。古着の買い付けをロスで学んだ。2009年に自身のブランド『W☆C』を設立するも2013年に退く。
- 私生活では2012年に一般男性と入籍し、1男1女を設ける。
- SNSは、主にインスタグラムを更新中。ファッションと華やかな交友関係の投稿が多い。
▼若槻千夏
生い立ち
若槻千夏は、1984年5月28日生まれの38歳。埼玉県出身。プラチナムプロダクション所属。[出典1]
本名は栗原千春。2018年2月7日に自身のインスタグラムで読者モデル時代の写真を公開。右下にちらりと本名が写っている。[出典2]
▼読モ時代の若槻(当時6歳)
家族は?
若槻千夏は、父、母、兄の4人家族。[出典3]
父は、京王電鉄の運転手をしていた。若槻が門限を1分でも遅れると激怒するほど、真面目で厳格な性格だった。[出典4]
2007年、家族の為に芸能界で稼いだお金で2階建て5LDKの家を建てた若槻は、両親に高級外車・高級腕時計・グアム旅行をプレゼントするなど親孝行をしたそう。[出典4]
反抗期もあった10代
10代の若槻千夏は、両親に反発するあまり
いつでも家を出ていける[出典5]
と宣言し、自分の荷物を詰めたリュックを食事中も背負うほどの反抗期だったという。[出典5]
しかし、その割に家を飛び出したことはなく、親の優しさに甘えていただけだったそう。[出典5]
「いいとも」に出演?
中学生時代の若槻千夏は、夏休み中に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)のオープニングに映り込むため、毎日新宿アルタに通い詰め、常に最前列をキープしていたという。[出典4]
その後写り込みに成功した若槻は、同番組にゲスト出演した際、MCのタモリと共に当時の映像を見ている。[出典4]
破天荒な学生時代
若槻千夏の地元では、学生時代に皆ジャージを着ていたため、外出する時は“ジャージからジャージ”に着替えていたらしい。[出典4]
また、“厚底を履くのは東京へ行く時”というマイルールがあったことも明かした。[出典4]
高校時代にはドラマ『白鳥麗子でございます!第1シリーズ』(フジテレビ系)が流行っており、主人公・白鳥麗子が黒塗りのハイヤーで通学していたのに憧れていた。
その為、時給680円のうどん屋で稼いだアルバイト代を全て注ぎ込み、タクシーで通学していたという。[出典4]
芸能活動
グラビアアイドルとしての活動
若槻千夏は、17歳の時に渋谷の109でスカウトされ、現在のプロダクションに所属。デビューを果たした。[出典1]
キュートな笑顔とエネルギッシュな動きでファンを魅了してきた若槻。[出典6]
2002年には1st写真集『千夏のカタチ』を発売。以降、2006年発売の『チナッティー ~ホノルルと神田の関係~』まで、計7冊の写真集を刊行している。[出典8]
また、名だたる雑誌の表紙を飾るなど、一躍トップグラビアアイドルに躍り出た。[出典6]
事務所の売り方として、将来は広末涼子さんみたいな、さわやか路線でいこうと言われていた。なので、握手会とか写真集の発売イベントでもさわやかに、無駄話もしなかった[出典7]
と当時を振り返った。[出典7]
おバカキャラ確立!バラエティ番組で大人気タレントに
グラビアアイドルとして順調に活動していた若槻千夏は、バラエティ向けのキャラクターが受け、徐々にメディアへの露出を増やしていく。[出典1]
2003年頃には『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)に出演し、珍回答連発の“おバカキャラ”として大ブレイクした。[出典9]
今までグラビアで活動していた若槻には、当時写真集や握手会などのイベントに必ず来てくれる男性ファンがいたそうで、毎回100冊の写真集を買ってくれていたという。[出典10]
しかし、バラエティ番組に出演し始めたことで、今まで隠していた素の若槻がバレることなった。[出典10]
そんな中行われた写真集のイベントには、いつも100冊もの写真集を購入してくれていた例の男性ファンも参加。
しかし彼はその日、写真集を1冊だけ手に持ち、
静止画がよかったです。[出典10]
とだけ告げ、次からイベントに来てくれなくなったそう。[出典10]
若槻は、過去付き合ってきた彼氏には何を言われても平気だったが、男性ファンから告げられたこの一言は本当に辛かったと語っている。[出典10]
出演番組
2003年『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)
2003年『銭形金太郎』(テレビ朝日系)
2003年『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)
2003年『てっぺん魂』(テレビ東京系)
2004年『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)
2004年『志村塾』(フジテレビ系)
2005年『うまッチ!』(フジテレビ系)
2005年『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)
2005年『スーパー競馬』(フジテレビ系)
2016年『若槻千夏と生で行ってみた』(AbemaTV)
2019年『でんじろうのTHE実験』(フジテレビ系)
「めちゃイケ」名物企画の「抜き打ちテスト」でスパーク
若槻千夏は、2004年10月に放送された『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の名物企画である抜き打ちテスト第6回「め茶の水女子大学附属高等学校中間テスト」に出演。[出典30]
才女の光浦靖子が高得点をマークする中、若槻は動物園の英語スペルが解けず、中学生レベルの問題に苦戦した。[出典30]
1984年生まれ。17歳の時に渋谷109でスカウトされ株式会社プラチナムプロダクションに所属、芸能界入り。バラエティ向けのキャラクターが支持を受けTVをはじめ様々なメディアで活躍。その後、自身の成長のため海外で経験を重ね、かねてから興味のあった古着の買い付けをロサンゼルスで学び 、2009年アパレルブランド「w ❤c」を立ち上げ、2012年には東京コレクションにデザイナーとして参加。デザイナー・プロデューサーとしても活躍の場を広げた。同ブランド退任後、株式会社WCJAPANを立ち上げ、 自身がプロデュースするキャラクター「クマタン」の展開を中心に、日本をはじめアジアでも様々な企画を展開している。また、2012年に結婚し現在2児のママであり、近年は子供向け展開もしている。2018年には幼児向けのクマタンの知育絵本を出版し、累計発行部数は5万部を記録する。2019年にはハイカジュアルなアパレルブランド「WCJ」をスタートし、アパレルデザイナーとしても活躍中。同年、渋谷区より子育てネウボラアンバサダーを委嘱されると同時に、渋谷の未来をつくるプロジェクトを担う一般社団法人渋谷未来デザインにてフューチャーデザイナーとして渋谷のまちづくりプロジェクトにも参加するなど幅広い活動を行っている。
出典:タレントデータバンク