2016年6月9日更新
どんな人?
- 荒井注は1964年ザ・ドリフターズに参加した俳優、コメディアンである。「なんだ、バカヤロー」「ジス・イズ・ア・ペン」などの代表的なギャグは流行語となった。
- 初婚では死別、2度目の結婚生活は1年10ヶ月で幕を閉じたが、1991年には38歳年下の一般人女性と再々婚している。
- 2000年2月9日、入浴中に肝不全のため急逝した。弔辞を読んだのはいかりや長介だった。
芸能活動
器楽奏者として
1960年、二松学舎大学を卒業後するとザ・ドリフターズの前身であるクレイジーウエストに参加し、ピアノを担当。
1962年にはザ・ドリフターズを結成し、荒井はエレクトーン奏者となった。[出典1]
お茶の間の人気者に
ザ・ドリフターズの中では最年長者だった荒井は、リーダー・いかりや長介とともにグループを引っ張り、1969年に『8時だヨ! 全員集合』(TBS系)がスタートすると、人気は最高潮に達した。
加藤茶の軽いギャグに対して、荒井はふてぶてしいキャラクターで存在感を発揮。カメラに向かって毒づく「なんだ、バカヤロー」や「ジス・イズ・ア・ペン」のギャグは世の中を席巻した。[出典1]
ザ・ドリフターズ脱退
順風満帆に活動していたはずの荒井だったが、1974年、当時46歳でザ・ドリフターズを脱退。
荒井いわく「10年間ドタバタをやって疲れた」とのことだったが、その裏ではギャラの配分などをめぐる衝突も囁かれ、一方では若手・志村けんの台頭を目にして、自らの引き際を演出したともいわれた。[出典1]
荒井が脱退した当時を振り返った加藤茶は、「荒井注が脱退する時、俺も一緒にやめようと思ってたんだよね」と告白。
その理由までは明言しなかったが、荒井から脱退したいとの旨を伝えられた加藤は、一緒にいかりや長介に相談しようと約束したらしい。
ところが荒井はそそくさと1人で話をしてしまい、そのまま脱退してしまったのだとか。[出典2]
俳優として
ザ・ドリフターズ脱退後は俳優としての活動を開始。
1970年から放送された『時間ですよ・昭和元年シリーズ』(TBS系)では単独で初のドラマ出演を飾り、とぼけたような演技が評判を呼んだ。
1982年には『日本のミュージカル』や1983年『アニーよ銃をとれ!』などの舞台にも参加した。[出典1]
私生活
3度の結婚
荒井は1958年に一般人女性と学生結婚したが、1983年に死別。
1985年に32歳年下の一般人女性と再婚するも、結婚生活は1年10カ月で幕を閉じた。
1991年には38歳年下のまり夫人と再々婚している。
肝不全による逝去
2000年2月9日午前4時30分頃、荒井は肝不全のため71歳でこの世を去った。
前々から体調が悪く寝たきりの生活を強いられていた荒井だったが、1日5〜6時間は入浴する大の風呂好きだったため、8日も午後11時ごろから入浴。
この日の朝6時30分過ぎにまり夫人が浴槽の中で意識を失っている荒井を見つけ119番通報したが、すでに亡くなっており蘇生は叶わなかった。[出典1]
同月10日に静岡県伊東市の式場で通夜が、翌日には同所で葬儀・告別式が行われ、出席したいかりやは「(天国で)飲む場所はあんたが決めといてくれ」とユーモア交じりに弔辞を読んだ。[出典3]
生前の思い出
『8時だヨ! 全員集合』(TBS系)でよく共演していた歌手・西城秀樹は「デビュー当時、よく面倒を見てもらったことを覚えています。歌以外のこと、芸能界のしきたりやお笑いのアドバイスをしていただきました。」とコメント。
CMで共演した女優・田中麗奈は「撮影でご一緒させていただいたときは(荒井さんが)ドリフターズの方々と本当に楽しそうにお話されていたのが印象に残っています」と振り返っている。[出典1]