2020年9月10日更新
どんな人?
- 落合陽一(おちあいよういち)は、日本のメディアアーティスト・博士(国際情報学)。東京都港区六本木出身の1987年9月16日生まれ。
- 筑波大学でメディア創成を学び、その後東京大学大学院で学際情報学府博士課程を修了、博士となっている。
- 博士の他、IPA(情報処理推進機構)認定スーパークリエータ・天才プログラマーなどの称号を持つ。
- 活動の根底にメディアアートがあり、「文化庁メディア芸術祭」など様々なメディア賞に入選・入賞。
- 情報番組の『news zero』(日本テレビ)や『サンデージャポン』(TBS)などにもコメンテーターとして出演している。
プロフィール
生年月日 | 1987年9月16日(37歳) |
出身地 | 東京都港区 |
最終学歴 | 東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻博士課程 |
所属事務所 | ワタナベエンターテインメント |
▼落合陽一
https://twitter.com/ochyai/status/1288117738901184524?s=20
生い立ち
落合陽一は、東京都港区六本木出身の1987年9月16日生まれ。現在年齢は37歳。身長168cm。[出典1][出典2]
ジャーナリストの父と家庭環境
落合陽一の父は、国際ジャーナリストの落合信彦。
著名人である父のもとにはサグラダ・ファミリア建設に携わる彫刻家の外尾悦郎や、実業家の角川春樹などが集まっていた。
そのため落合が学校から帰ると、著名人が自宅にいることが多かったという。
さらに、イスラエル空軍の軍人やスパイのような怪しい人物がいることもあったそうで、非常に刺激的な毎日だったそう。
また、父からは「大した命ではないのだから、死ぬまでやれ」とよく言われており、印象的な言葉として残っているという。[出典3]
学生時代は好きなことをしていた
落合陽一は中高生時代、ギターを弾いたり絵を描いたりして過ごしていたという。
ゲームが好きがこうじてゲーム部に所属しており、中でもカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング」が好きだった。同カードゲームでは全国優勝の経験もある。
一方、将来のことは全く考えることがなかったそうで、高校時代も受験勉強はほとんどしていなかったそう。[出典3]
そのため、大学現役合格は叶わず1年の浪人期間を設けている。しかし、浪人期間中には音楽を作っていたという。[出典4]
大学進学で人生が決まる
落合陽一は現役時代、浪人時代共に東京大学合格は叶わなかったものの、筑波大学に入学。[出典5]
情報学群情報メディア創成学類で学び、専門性の高い学問に触れたことで初めてやる気が開花。[出典3]
その後、東京大学学際情報学府博士課程までを早期修了し、学際情報学の博士号を取得している。
博士号取得後は、日本学術振興会の特別研究員やアメリカの研究機関「Microsoft Research」のリサーチインターンを経験。
2015年からは筑波大学図書館情報メディア系助教とデジタルネイチャー研究室主宰に就任した。
同年、ソフトウェア基盤を構築する「Pixie Dust Technologies.inc」を起業し、CEOとして勤務を開始。
また、2017〜2019年には筑波大学学長補佐、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授を兼務した。
2017年12月には、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立し、本基盤の代表・准教授として就任している。[出典6]
活動
メディアアーティストとしての主な活動
落合陽一は、コンピューターや電子機器を使用し、アート作品を制作するメディアアーティストとして主に活動している。[出典7]
メディアアーティストの登竜門と言われている、「アルスエレクトロニカ」という1番大きな賞に入賞経験もある。
また、「文化庁メディア芸術祭」や「アジアデジタルアートアワード」などでも入選・入賞経験があり、世界的に活躍。[出典2]
さらに、自身が演出を手掛けた「耳で聴かない音楽会」では、世界3大広告賞の1つである「カンヌライオン」でブロンズを受賞している。