2022年1月20日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 藤原紀香(ふじわらのりか)は、日本で活動する役者・タレント。兵庫県西宮市出身の1971年6月28日生まれ。サムデイ所属。
- 1992年開催の「第24回ミス日本」でグランプリを獲得。翌年の東レ水着・着物キャンペーンとファッション誌『JJ』のモデルとして芸能界入りした。
- 1995年公開の映画『花より男子(1995年版)』に脇役で出演し、スクリーンデビュー。主な活躍場所はテレビ番組であり、1998年には全クールのドラマに出演している。
- 1999〜2001年には、全37社と契約しCMに多く出演し、「CMの女王」と呼ばれるほどのブレイクを果たした。
- 私生活では1995年の阪神淡路大震災を経験したことを原点に、毎年各国での人道支援に協力している。
▼藤原紀香
生い立ち
藤原紀香は、兵庫県西宮市出身の1971年6月28日生まれ。現在年齢は、53歳。身長171cm。サムデイ所属。[出典1][出典2]
少年野球の経験があり、ポジションはファースト
藤原紀香は小学生の時、少年野球をしていた。
ポジションはファーストで、打順は3番。
また、大学時代もバッティングセンター通いが趣味だったという。[出典6]
芸能界を志すも、両親からの大反対を受ける
藤原紀香は、1988年に放送されたドラマ『抱きしめたい!』(フジテレビ)に影響を受け、役者を志すようになった。
その後、大学卒業を機に「芸能界で活躍するため上京したい」と考えるようになるも、両親は大反対。
連日話し合いの場が設けられ、諦めるよう説得され続けた。[出典7]
また、芸能界入りを大反対していた父親とは、2015年放送のバラエティ番組『バナナマンの独占密着!スターの決断~決断は金曜日!SP~』(フジテレビ)で共演。
番組内で父親は、当時の心境について「(上京前から)いたずら電話などが多く、東京に行くことでさらに心配が募っていた」と語った。
また、「今は反対したことを後悔している、頑張ってほしい」とも述べており、藤原紀香はその言葉に感極まって号泣している。[出典8]
芸能活動
ドラマ『ナオミ』などで主演を務めた
藤原紀香は、1992年に「第24回ミス日本」でグランプリを獲得。[出典3]
翌年の1993年には、東レの水着・着物キャンペーンモデルを務め、女性向けファッション誌『JJ』でもモデルとして活躍した。
その後、1995年に上京。同年公開の映画『花より男子(1995年版)』でスクリーンデビューを果たした。
1997年公開の映画『CAT’S EYE』では、怪盗三姉妹の長女・泪役で出演。
1998年においては、ドラマ『ニュースの女』(フジテレビ)をはじめとする、全クールのドラマに出演した。
また、1999年にはドラマ『ナオミ』(フジテレビ)でドラマ初主演。
さらに、1999年は10社、2000年は13社、2001年は14社の企業とCM契約を結んでおり、「CM女王」と称されていた。
2009年はドラマ『ツレがうつになりまして。』(NHK)やドラマ『ギネ・産婦人科の女たち』(日本テレビ)で主演。
舞台でも活躍しており、2010年公演のミュージカル『キャバレー』や2011年公演のミュージカル『マルグリット』などで主演を務めている。[出典2]
役者のほかに、歌番組の司会やバラエティ番組への出演もこなす
藤原紀香は、2010年放送のドラマ『チャンス』(NHK)や2013年放送のドラマ『女と男の熱帯』(WOWOW)で主演。
1971年6月28日生まれ、兵庫県出身の女優。主な出演作はNHK『ツレがうつになりまして。』、NHK BSプレミアム『虹の架け橋まごころ募金コンサート』『ある日、アヒルバス』、テレビ朝日『だめんず・うぉ~か~』、日本テレビ『ギネ 産婦人科の女たち』、CM『ホーユー「CIELO」』、著書『藤原主義 強く、美しい人になる61のヒント』、邦画『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜』など他多数。
出典:タレントデータバンク