2022年1月18日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 西田敏行(にしだとしゆき)は、日本で活動する役者。福島県郡山市出身の1947年11月14日生まれ。株式会社オフィスコバック所属。
- 中学卒業後、役者を目指して上京。明治大学附属中野高校卒業後、明治大学農学部に進学するも中退している。
- 1970年に「劇団青年座」の団員となり、同年に初舞台を踏んだ。
- 1967年放送のドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(TBS)にゲスト出演し、テレビドラマデビュー。以降、ドラマ『西遊記』(日本テレビ)や『釣りバカ日誌』シリーズなど話題作に出演している。
- 2008年には「紫綬褒章」を受賞し、日本俳優連合理事長にも就任している。
▼西田敏行
生い立ち
西田敏行は、福島県郡山市出身の1947年11月14日生まれ。
現在年齢は、77歳。株式会社オフィスコバック所属。[出典1]
最終学歴は明治大学農学部中退
西田敏行は福島県内の中学校を卒業後、「役者になるため、標準語をしゃべれるようになりたい」と上京。[出典19]
東京の明治大学附属中野高校へ進学した。
同校を卒業後は明治大学農学部に進学。その後、中退した。[出典1][出典2]
なお、同校の卒業生には、役者の松原智恵子や高倉健など、数多くの著名人がいる。[出典2]
芸能活動
1970年に「劇団青年座」の団員に
西田敏行は、1970年に「劇団青年座」に入団。
同年に舞台『情痴』で初舞台を踏み、翌年の1971年には舞台『写楽考』で初主演を務めた。[出典1]
テレビドラマデビューは、1967年放送のドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(TBS)。[出典21]
その後、1974年公開の映画『沖田総司』で本格的にスクリーンデビュー。1979年公開の映画『悪魔が来りて笛を吹く』では映画初主演を務めた。
以降も、ドラマ『西遊記』(日本テレビ)や『釣りバカ日誌』シリーズなどの話題作に出演している。[出典20]
2001年には、関西ローカルのバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)の2代目局長に就任。
同番組には約19年間出演していたが、2019年にお笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志に局長の座を譲り渡す形で同番組を卒業した。[出典3]
また、2003年に「劇団青年座」を退団。
退団後も、数多くの映画・ドラマで活躍している。[出典1]
https://twitter.com/KansaiWalkers/status/1187739492997849088
2008年に「紫綬褒章」を受賞
西田敏行は2008年、学術・芸術・技術開発などの功労者に天皇から授与される「紫綬褒章」を受賞。これまでの役者としての功績が称えられた。[出典1][出典4]
2010年には、「日本俳優連合」の理事長に就任。[出典8]
以降も役者として活躍を続け、翌年の2011年に公開された映画『ステキな金縛り』では、深津絵里とW主演を務めた。
同作は三谷幸喜が監督を務めており、西田敏行は殺人事件の重要参考人となる落ち武者の幽霊・更科六兵衛を演じている。[出典5]
また同年には、映画『星守る犬』でも主演を務めている。
同作は、漫画家・村上たかしの同名コミックを実写映画化。飼い犬と共に山中の自動車の中で遺体として発見された、”おとうさん”を演じた。[出典6]
福島県出身。明治大中退。1979年、劇団青年座入団。同年、『情痴』で初舞台を踏む。翌年、『写楽考』で初主演。映画『釣りバカ日誌』シリーズや、日本テレビ『池中玄太80キロ』などで幅広い層から人気を博す。1981年には『もしもピアノが弾けたなら』で歌手デビューも果たし、大ヒットを記録。1988年、『敦煌』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。2003年12月、劇団青年座退団。愛嬌のあるキャラクターと個性的な容姿で、幅広い層から愛される俳優として映画・テレビ・舞台で活躍している。
出典:タレントデータバンク