どんな人?
- 吉岡秀隆(よしおかひでたか)は、日本で活動する役者。埼玉県出身の1970年8月12日生まれ。Office Bow!所属。
- 5歳だった1975年に、「劇団若草」へ入団。同年放送のドラマ『大江戸捜査網』(テレビ東京)で子役デビューした。
- 翌年公開の映画『八つ墓村』で、主人公・萩原健一の少年時代を演じ、スクリーンデビュー。1980年公開の映画『遙かなる山の呼び声』に出演し、以降山田洋次郎監督作品の常連となっている。
- 1981年放送開始のドラマ『北の国から』(フジテレビ)では主人公を演じ、以降8本のスペシャルドラマにも出演している。
- 私生活では、役者・内田有紀と2002年に結婚。2005年に離婚した。
▼吉岡秀隆
https://twitter.com/warakora_ntv/status/1447758927639240708?s=20
生い立ち
吉岡秀隆は、埼玉県出身の1970年8月12日生まれ。現在年齢は54歳。身長172cm。Office Bow!所属。[出典1][出典2]
芸能活動
数々の有名ドラマや映画に出演した子役時代
吉岡秀隆は1975年、5歳のころに「劇団若草」に入団し、同年に放送のドラマ『大江戸捜査網』(テレビ東京)でドラマに初出演する。
1977年公開の映画『八つ墓村(1977)』では、主人公の幼少時代を演じて映画初出演を果たした。[出典4]
1980年には山田洋次監督の映画『遙かなる山の呼び声』で、倍賞千恵子演じる風見民子の息子・風見武志役として出演した。
同作品がきっかけとなり、山田洋次が監督を務めた人気シリーズで1981年公開の映画『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』にも出演。
渥美清が演じる主人公・車寅次郎の甥っ子である諏訪満男役に抜擢される。[出典3]
以降、同シリーズのレギュラー出演者として、1997年に公開された49作品目の映画『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』まで出演。[出典5][出典6]
なお、2019年に公開された、シリーズ50周年を記念した映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』にも出演している。[出典7]
誰もが知っている名作シリーズで天才子役ぶりを発揮
吉岡秀隆は、倉本聰が脚本を手掛けた1981年放送開始のドラマ『北の国から』(フジテレビ)に出演した。
本作は東京から北海道へ移り住んだ、父の黒板五郎(田中邦衛)、妹の螢(中嶋朋子)と、吉岡秀隆演じる黒板純の一家を描いた作品。
本作はシリーズ化され、2002年放送の『北の国から2002・遺言』(フジテレビ)で最終回を迎えている。[出典3][出典8]
脱・子役で新たな新境地へ
吉岡秀隆はその後も、1991年に黒澤明が監督を務めた映画『八月の狂詩曲(ラプソディー)』や、映画初主演となった1994年公開の映画『青空に一番近い場所』に出演。[出典9][出典3]
1999年には高倉健主演の映画『鉄道員 ぽっぽや』にも出演するなど、多くの話題作に出演している。[出典10]
2003年には、ドラマ『Dr.コトー診療所』(フジテレビ)に出演し、へき地医療の困難に立ち向かう青年医師・五島健助(コトー)を演じた。
島民の信頼を得ながら命の大切さや尊さを描いた同作は、続編も放送される人気シリーズとなり、吉岡秀隆の子役時代を知らない若い世代からも支持を得るきっかけとなった。[出典3][出典11]
その後、2005年に公開の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』と、2007年公開の続編『ALWAYS 続・三丁目の夕日』に出演。[出典12][出典13]
吉岡秀隆は同シリーズ2作見せた演技が評価され、「第29回日本アカデミー賞」と「第31回日本アカデミー賞」で、2度の最優秀主演男優賞を受賞している。[出典14][出典15]
人物
- 2021年10月放送のバラエティ番組『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』(日本テレビ)に出演。18年ぶりとなるバラエティ出演のため、緊張して眠れなかったと明かした。[出典17]
- バイクツーリングで北海道を走るのが好き。[出典17]
- ミュージシャンの故・尾崎豊とは、プライベートでも兄弟のように仲が良かった。[出典24]
- アニメ映画『崖の上のポニョ』を鑑賞した際、1度では理解しきず母親を連れて2度目の鑑賞に行った。[出典18]
- 映画『男はつらいよ』シリーズで親子役として共演した倍賞千恵子のことを、プライベートでも「お母さん」と呼んでいる。[出典19][出典20]
- 役者・田中邦衛が逝去した際は、倍賞千恵子からすぐに電話がきて元気づけられたという。[出典20]
- 2020年8月28日に受けたPCR検査で、新型コロナウイルスに感染していたと所属事務所が発表。無症状だったが、宿泊施設での療養を経て、翌月7日に保健所の判断で解除されたため仕事に復帰した。[出典21][出典22]