2016年7月17日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 1983年高校に通いながらNSC2期生として入学し、その後コンビ「ボブキャッツ」でデビュー。当時心斎橋2丁目劇場では人気を集めていた。
- 1989年には吉本新喜劇に入団し「常に新しいこと」をモットーに1999年からは座長を務める。
- 元ダウンダウンファミリーとしても知られ『朝まで働けダウンタウン・復活4時ですよーだ』にてギャグ100連発を披露したことにより一躍人気になった。
プロフィール
芸名 / 読み | 吉田 ヒロ / よしだ ひろ |
誕生日 | 8月4日 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 / 体重 / 血液型 | 165.0cm / 51.0kg / O型 |
星座 / 干支 | しし座 / 未年 |
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芸能活動
15歳・高校生の時にNSCへ入学
吉田ヒロは15歳・高校生の時にNSCへ入学した。[出典1]
過去にも一度受験していた
子どもの頃は野球選手になることを夢見て野球部に所属していたが、13歳の時に巻き起こった漫才ブームに影響を受け、野球部を退部。
その時にNSCに願書を送ったが、13歳というの年齢の若さからその時は入れずに終わった。
なお、その時受かっていたら、ダウンタウンと同期だったという。[出典1]
高校生になりNSCへ入学
その後晴れてNSCへ入学。
高校を出るというのが親との約束であったため、高校へ行きながらNSCに通っていたという。
当時はとにかく漫才がしたかったという思いからボブキャッツというコンビを組み、心斎橋2丁目劇場で人気を博す。[出典1]
新喜劇へ
吉本が1989年に「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」を始めて、後に社長となる大﨑洋氏や木村政雄氏が面接を行った。
その時にアンケートがあり、落語や漫才、新喜劇、タレントなどの項目から、自分のしたいものに○をつけさせられたという。
この時吉田ヒロは「芝居なんか出けへん」と思い、新喜劇だけに○をせず、面接でも「しません」と断ったが、新生・吉本新喜劇になった時に、自分の名前が入っていた。
当時ダウンタウン以外の2丁目劇場のメンバーは皆そろって新喜劇に入ることになり、そのためナインティナインや千原兄弟、バッファロー吾郎などもいたという。[出典2]
出典
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[『よしもと新喜劇 座員紹介 第12回 吉田ヒロ MBS』](http://www.mbs.jp/shinkigeki/sp/interview/yoshida_h/1.shtml){:target=”_blank”} -
[『よしもと新喜劇 座員紹介 第12回 吉田ヒロ MBS』](http://www.mbs.jp/shinkigeki/sp/interview/yoshida_h/2.shtml){:target=”_blank”}
1967年生まれ、兵庫県出身のお笑い芸人。元よしもと新喜劇座長。趣味は、阪神タイガースの応援、絵を描くこと、麻雀、パチンコ。主な出演作は、映画『どケチ・ピーやん物語』、『ハンコください!』『大阪好日』など多数出演。
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