2018年4月6日更新
どんな人?
芸歴
▼日活三人娘の一人・吉永小百合
10歳で劇団若草に入団し、14歳で日活に入社、子役時代から多くの映画に出演する。
1963年には、浦山桐郎監督の映画『非行少女』に主演し、デビューを果たす。
映画ではその演技力が認められ、エランドール新人賞やモスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のフランスの名優ジャン・ギャバンに絶賛された。
日活時代には吉永小百合や松原智恵子とともに日活三人娘として人気を誇り、活躍の場をテレビ番組と舞台に移した後も青春スターとして多くのドラマに出演した。[出典1]
1983年にテレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、翌年からは毎年2回以上北極の旅を続け、1989年には女性として初めて北極点到達に成功する。
最近は女性初の北極点到達者という冒険家としての側面を生かし、フォーラムやセミナー、トークショーを積極的に開いている。[出典1]
山内賢とデュエット
1966年には山内賢と「二人の銀座」などデュエット曲を複数発表する。
映画でも山内と共演することがあった和泉は、2011年に山内が死去した際に、
とにかくまじめな人だった。残念です。裕(石原裕次郎)さん、南田(洋子)さん、長門(裕之)さんと日活会をつくってくださいね」[出典3]
と日活を代表する青春スターであった山内を惜しんでいた。[出典3]
私生活
趣味・特技
絵画や写真、彫刻、刺繍、鼓、日本舞踊など挙げている。[出典1]
女性による世界初の北極点踏破
テレビの取材をきっかけに1984年、「地球のてっぺんに立ちたい」と北極点への挑戦を思い立った。
翌1985年4月に開始した初挑戦では、65日間で北緯84度40分まで到達するが、北極点まで148キロを残して断念する。
4年後の1989年には、500キロを超える装備を積んだ木製のソリをスノーモビルで引いて再び挑み、62日間の苦闘の末に女性による世界初の北極点踏破を果たした。[出典2]
和泉は、この二度の北極点遠征により全財産を失ってしまったと明かしている。
物は残らなかったが、北極の大自然から学んだ素晴らしいものや遠征を通して知った命の尊さ、仲間への思いやり、友情など、お金には変えられない素晴らしいものが残ったとしている。[出典1]