2016年6月28日更新
どんな人?
- 大信田礼子は、1966年に行われたミス10代女王コンテスト世界大会で優勝したことをきっかけに、同年放送された少年ドラマシリーズ『太郎』(NHK)でデビューした女優、歌手である。
- 代表作としては映画『同棲時代』や『ずべ公番長』、テレビドラマ『プレイガール』(テレビ東京系)などが挙げられる。
- 1974年、作曲家である都倉俊一と結婚するが、1978年に離婚した。
芸能活動
女優として
1966年、ミス10代女王コンテスト世界大会で優勝したことをきっかけに、同年放送された少年ドラマシリーズ『太郎』(NHK)で女優デビュー。
以降は1973年に公開された映画『同棲時代』や『不良番長シリーズ』に出演。
テレビドラマにおいては『相棒』(テレビ朝日系)や『プレイガール』(テレビ東京系)などに出演した。[出典1]
『プレイガール』のエピソード
厳しい母のもとで育った大信田はその反動からか、清純派としてデビューした頃から「家と同じことはしたくない!」と主張し続けたといい、その結果オファーを受けたのが『プレイガール』(テレビ東京系)だったと明かしている。
武芸百般という役柄で、「ジーンズにノーメイクでOK」という条件だったのに、いつの間にかミニスカで下着が見えるようになっていって。
なので、途中からは母が買ってきた私物のホットパンツで撮影していました。
蹴っ飛ばしたり走り回ったり、「テメー!」とタンカを切ったり、ストレス発散状態。特に回し蹴りが好きでしたね。
スッキリするのよ(笑)。[出典2]
『ずべ公番長』について
1970年から公開された映画『ずべ公番長』にて主演を務めた大信田は、同作についてを以下のように振り返っている。
捻挫や骨折は頻繁にあったけど、お気に入りのセリフや立ち回りは数え切れないほどで、本当に楽しかった。[出典2]
歌手として
女優として活動する傍ら、歌手としても活躍した大信田は、自身が出演した映画『同棲時代』の主題歌を担当することになった理由を、
抵抗がありましたね。「恋人もいないのに同棲なんて! 不潔!」と(笑)。
ですが、原作者の上村一夫先生にお会いしてお考えを聞き、反対すると思っていた母も承諾したものだから、歌うことに。
と明かしている。[出典2]
舞台『生きる』に主演
大信田は2014年9月2~7日にかけて上映された舞台『生きる』に主演。
「困っている人に手を差し伸べられる、お互いに助け合いながら生きるという事が人間社会にとって大切という事を、若い世代に伝える事」を目的として興行された[出典3]本作は、企画・立案者のブッチー武者が2006年に実際に起きた『地裁が泣いた京都温情判決』事件から着想を得たもの。
実母の介護経験がある大信田の熱演が感動を呼び、上演後は全国から再演希望の声が相次いだ。[出典4]
私生活
結婚
1974年、大信田は作曲家の都倉俊一と結婚した。
決め手は、母へのアプローチがいちばん強かったから(笑)。
私がいない時でも母に「仕事終わりに迎えに行っていいか」などの了承を取りに行っていたそう。
ちなみに母は同時期にアプローチしてきた方たちには「お別れの品」としてセッケンをあげたそうです。
理由を聞くと、「水の泡になったという意味よ」と。もらった人は意味がわからなかったでしょうね(笑)。[出典2]
しかし結婚生活は4年で破綻。
離婚後は独身を貫いている。[出典5]
所属事務所会長を偲ぶ
2012年5年3日に帰らぬ人となった芸能事務所・長良グループ会長・長良じゅんさんの本葬が同月22日に東京・青山葬儀所で営まれると、同事務所に所属する大信田は中村玉緒、グッチ裕三などと共に参列した。[出典6]