どんな人?
- 奥野敦士は群馬県出身のミュージシャン、俳優。1982年にロックバンド「ROGUE」を結成し、単独ライブ「単独行動」では日本武道館に8000人を動員した。
- 映画『TVO』の主演を務めるなど俳優としても活躍していたが、2008年、不慮の落下事故により頚椎を損傷し、首から下の自由を失った。
- 現在もなお音楽活動等は続けている。2012年には著書『いろいろあるさ 生きってっからね』と自身の半生を綴った『終わりのない歌』を出版した。
芸能活動
芸歴
1982年10月、ロックバンド「ROGUE」を結成し、
1985年、アルバム『ROGUE』でメジャーデビュー。
1989年8月30日、日本武道館単独ライブ「単独行動」で8000人を動員する。
1990年、ROGUE解散。その後ソロ活動を行い、翌年、映画『TVO』の主演を務める。
ミュージシャンや俳優だけでなく、映画音楽制作などに活動の場を広げていたが、
2008年、不慮の落下事故により首から下の自由を失い、リハビリのため一時休業していた。[出典1][出典2]
2012年7月、ツイッターのつぶやきなどを集めた初の著書『いろいろあるさ 生きってっからね』を出版。2012年12月にはROGUE時代から現在に至るまでの半生を綴った『終わりのない歌』を出版した。[出典1]
歌手活動
事故後は「おなかに、きつくベルトを巻き付けて前にぐっと体重をかける」という独自の歌唱法を開発し、歌手活動を続けている。
しかし、同方法を使っても歌っている最中に貧血を起こして意識が飛びそうになるという。
そこまでして、奥野が歌い続ける理由は”ボーカリスト”だから。奥野は、
この先、自分が生きていく上で”歌わない”ということは、できなかった。 自分の怪我が頸椎損傷って聞いてすぐに思ったのは「ああ、俺はもう、一生ギター弾けないんだな」ということだったんだ。でも、歌は歌えた。それが救いになったんだよね。 神様が俺に一個だけ残してくれた
”希望”なんだと思う。
と語っている。
現在は以前より、ひとつひとつのフレーズを大切にして歌ってるとも語った。[出典3]
幻のバンド「ポークソテーズ」
ポークソテーズというバンドは、リーダーの奥野敦士をはじめ、松尾貴史、原田喧太、川村カオリ、勝村政信、BUCK-TICKのユータ、ドラムの酒井麿で結成されていたバンド。時には、ヒロミチ・ナカノの中野裕通や、金山一彦&芳本美代子夫妻なども参加していたという。[出典3]
メンバーはもともと、原田芳雄の家で遊んでた仲間。
これだけ豪華なメンバーが揃い、赤坂の草月ホールでの単独ライブの実施や、「ハンバーグの作り方」という曲が『みんなのうた』(NHK)でオンエアされたにも関わらず、現在はどこにも音源が残っていないため、幻のバンドと称されている。
奥野はポークソテーズについて、
いい大人の悪ふざけだよね
と話している。[出典4]
私生活
2008年9月11日、不慮の落下事故により頚椎を損傷し、首から下の自由を失う。
怪我をした直後は、肺活量が減り、喋るだけでもすぐに息切れしていた。
奥野は当時を振り返り、
自分がこれからどうなってしまうのか、ぜんぜん、わかんなかった。 この怪我は治る怪我なんだろうか、それともこのまま一生動けないんだろうか、みたいな。
と語る。しかし、
はやく治して動けるようになってステージに立ちたい、音楽でバカやりたい、歌を歌いたい
と怪我をした直後も音楽のことを考えていたという。[出典3]
交友関係
ポークソテーズのメンバーとは、プライベートでも仲が良い。
20代の終わりくらいのころから毎日、一緒に朝まで飲んでた。[出典3]
川村カオリとはレコード会社が同じであり、事故に遭った際、すぐに奥野の元に駆けつけ、
「オッキー、だいじょうぶだよ」と元気づけてくれたという。
奥野は友人について、
やっぱり、”いちばん大事なもの”だよ。
と語っている。[出典4]