どんな人?
- 宇梶剛士(うかじたかし)は、日本で活動する役者。東京都出身の1962年8月15日生まれ。オフィス33所属。
- 野球で才能を発揮し、甲子園出場を夢に拓殖大学第一高校へ進学するも、暴力事件を起こし退学。日本最大級の暴走族「ブラックエンペラー」の総長になり、暴走族同士の抗争で逮捕され、少年院に入ったことがある。
- 少年院で読んだ喜劇王・チャップリンの自伝に感銘を受け、役者を志した。
- 母親の紹介で歌手・錦野旦の事務所で手伝いを始め、これをきっかけに1981年頃から端役でテレビドラマに出演。以降映像作品や舞台など様々な作品に出演し、バイプレーヤーとして活躍している。
▼宇梶剛士(写真右)
生い立ち
宇梶剛士は、東京都出身の1962年8月15日生まれ。
現在年齢は、62歳。身長190cm。オフィス33所属。[出典1][出典2]
母親はアイヌ民族出身
宇梶剛士の母親・静江はアイヌ民族出身。[出典3]
また、叔父・浦川治造はアイヌの長老として知られており、東京アイヌ協会名誉会長も務めている。[出典4]
宇梶剛士自身は東京で生まれ育ち、アイヌとして育てられてはいなかったが、自宅にはアイヌ伝統の着物やアイヌ文様の漆器などがあり、アイヌ文化を身近に感じて育った。
しかし、そんなアイヌ文化を疎ましく思ったこともあるという。[出典3]
宇梶剛士は、特に食事面に不満を持っていたといい、
友だちの家ではお母さんがハンバーグとかカレーライスとか子どもが好きな料理を作ってくれるでしょう。ところが、うちの食事はいつもオハウ(アイヌの伝統食、三平汁の起源とも言われる)でした。[出典3]
と語っている。[出典3]
若い頃は暴走族の総長で、少年院に入った経験もある
宇梶剛士は野球で才能を発揮し、甲子園出場を夢に柘植大学第一高校へ進学。[出典5]
しかし、野球部で壮絶なシゴキを受けたのち、暴力事件を起こして同校を退学。[出典2][出典5][出典6]
行き場のない怒りや悔しさから、荒れた日々を送るようになる。[出典6]
その後、日本最大級の暴走族「ブラックエンペラー」のメンバーとなり、17歳の時には7代目総長に。
総長時代には2000人ものメンバーを抱え、1人で800人を相手に戦ったこともあるという。[出典2]
また、暴走族同士の抗争で逮捕され、少年院に入った経験を持つ。[出典5]
芸能活動
歌手・錦野旦の事務所を手伝っていた
宇梶剛士は、少年院で読んだ喜劇王・チャップリンの自伝に感銘を受け役者を志す。
母親の紹介によって歌手・錦野旦の事務所を手伝い始め、同事務所に通ううちに役者・菅原文太と出会う。
その縁がきっかけで、1981年に菅原文太主演のドラマ『警視庁殺人課』(テレビ朝日)に出演。
同作には端役で出演しており、本格的にテレビドラマ出演を果たした作品は、1986年放送のドラマ『愛されて、サヨナラ』(TBS)。[出典5]
しかし、役者の仕事だけでは食べていくことができず、30代半ばまでは工事現場のアルバイトで生計を建てていたという。[出典7]
▼歌手・錦野旦(写真右)