2016年7月16日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 寿美花代は、1948年に宝塚歌劇団に入団し『春のをどり』で初舞台を踏んだ元男役トップスターのタカラジェンヌ。
- 1963年、俳優・高島忠夫と結婚。料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)では夫婦で司会を務め、26年間放送された。
- 宝塚歌劇団100周年目である2014年、殿堂入りを果たした。
芸能活動
宝塚歌劇団にて
1948年に宝塚歌劇団入団し『春のをどり』で初舞台を踏んだ。
1952年にはグランド・レビュー『猿飛佐助』で初主演を飾ると、その後は星組の男役トップスターとして活躍。
1960年には代表作『華麗なる千拍子』で芸術祭賞を受賞したが、1963年には俳優・高島忠夫との結婚のため、さよなら公演『タカラジェンヌに栄光あれ』を開催して退団した。[出典1]
その後の活動
宝塚歌劇団退団後は、テレビや映画で活躍。
主な出演作は以下のとおりである。[出典2]
テレビ
- 『キラリ元気人』(テレビ東京系)
- 『ちちんぷいぷい』(毎日放送)
- 『堺でございます』(BSフジ)
- 『うつへの復讐〜絶望からの復活』(日本テレビ系)
- 『知っとこ』(毎日放送)
- 『最終警告! 本当は怖い家庭の医学』(テレビ朝日系)
- 『いつでも笑みを!』(フジテレビ系)
映画
- 『水着の花嫁』
人気番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)に出演
料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)では夫の高島忠夫と共に司会を務め、26年間放送された。[出典1]
殿堂入り
宝塚歌劇団100周年目である2014年、扇千景や鳳蘭、大浦みずき、大地真央らと共に殿堂入りを果たした。[出典3]
私生活
結婚
1963年、俳優・高島忠夫と結婚。[出典1]
ふたりは芸能界きってのおしどり夫婦として知られている。
長男の死
1964年8月24日、住み込みで働きに来ていた当時17歳の少女が、生後5ヶ月だった長男・道夫を浴槽に沈めて殺害。
寿美は当時の様子を、
夜中に(お手伝いさんが)『道夫がどこでもいない』ってことになって、探し回った。
一番最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。(道夫の周りに)泡がいっぱい出てて…
夜中2時すぎぐらいで、あちこち病院行ったけど、どこも受け入れてくれなくて。やっと1軒受けてくれた時には…
と告白。
事件後には、赤ん坊の泣き声や「ママー、苦しいよ」などと言ういたずら電話がかかってきたことを明かした。
寿美は事件の影響について、
いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない…
と語っている。[出典5]
夫がうつを発病
1988年、夫・高島忠夫がうつ病を発病。
以来、高島はほとんど寝室から出ることなく無表情で一点を見つめ続けるようになったという。
うつを発病する直前、飲酒量が増えていた高島の様子について、寿美は、
今にして思えば、俳優として、芸能人としてストレスが高まっていたのだと思います。 この世界は競争も激しいです。
新しい人、若い人がどんどん出てきて、常に追い越されるんじゃないかという心配がつきまといます。
それは私も女優ですし、宝塚時代には主役を争っていましたから、よくわかるんです。
そんなプレッシャーから逃れるため、早く寝てしまおうとお酒に手が伸びていったようです。
と振り返っている。[出典4]
介護生活について
現在はうつ病から復帰している高島。
寿美は介護生活を振り返り、
私は今、私ほど幸せな人間はいないと思っています。
(中略)私は介護をしている際、つらくとも心のどこかでは「なんとかなる」と思うことができました。
これは楽天的な性格に産み育ててくれた親に感謝するのみです。
後はやっぱり夫との信頼関係ですね。浮気もせずに病気になるまで、本当に私を大事にしてくれていましたから。
それを思えば、介護は苦ではなかったです。
1932年兵庫県西宮市生まれ。1948年宝塚歌劇団入団。『春のをどり』で初舞台を踏む。1952年にはグランド・レビュー『猿飛佐助』で初主演。その後、星組の男役トップスターとして活躍。代表作は1960年に芸術祭賞を受賞した『華麗なる千拍子』。1963年高島忠夫と結婚のため『タカラジェンヌに栄光あれ』をさよなら公演に退団。同年、結婚。夫婦で司会を務めた日本テレビの料理番組『ごちそうさま』は人気番組となり26年も続いた。近年は、MBS『ちちんぷいぷい』セミレギュラーなどバラエティ番組や、トークショーなど幅広く活躍。趣味は海外旅行、絵を描くこと。
出典:タレントデータバンク