どんな人?
- 第3期日活ニューフェイスで、1956年映画「飢える魂」でスクリーンデビュー。石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。
- 1958年に歌手デビュー。1985年の「熱き心に」が大ヒットし、1986年には2回目の紅白歌合戦に出演を果たした。
- 美空ひばりと事実婚をしていたがその後別れることになる。会見で「芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら。と思い、理解離婚に踏み切った」と語り、理解離婚という言葉が当時の流行語になった。
芸能活動
子役を経て第3期日活ニューフェイスに合格した。
目黒高等学校を経て明治大学文学部中退した後、1956年に公開された映画『飢える魂』でデビューした。
1959年公開の映画『南国土佐を後にして』に出演したことがきっかけで脚光を浴びる。
1960年頃、映画での共演をきっかけに浅丘ルリ子と同棲したが、後に解消した。[出典1]
私生活
美空ひばりと結婚
1962年(昭和37年)に美空ひばりと結婚した。
なお、小林旭と美空ひばりは、美空ひばりの母の反対で戸籍上は入籍していない事実婚で、戸籍上は生涯独身であった。
小林旭は2012年2月22日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際、「ひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった」と述懐している。[出典2]
再婚
1964年(昭和39年)、クラウンレコードへ移籍し、1967年(昭和42年)には女優の青山京子と再婚した。